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「え、もう米が無くなったの?」にまつわる《時間概念》

「一ヶ月前」と聞くと、僕は遠いはるか昔のことのように感じる。
ちょっと大げさに言ったが、そんな気がするのだ。

しかし、昨日のことだ。

いつものようにご飯をたこうとすると、
この前買ったばかりの「お米5キロ」が、ほとんど無くなりかけていた。

「え、もう米が無くなったの?」
その事実に、僕はささやかながら驚愕した。
米がないということは、自炊をするものすべてにとって(いや、少なくとも僕にとって)、広大な宇宙の中に取り残されてしまったような、一言でいうと、カオスに陥いるほどの感覚なのである。
そんな状況が、突然目の前に突きつけられたのだ。
動揺しないほうがおかしい。

「・・・この前、買ったばかりなのに・・・」

僕はこんなにも早く底をついてしまったお米に対して、まことに勝手ながら憤慨した。
もうちょっとねばってくれないと困るよ、と。
いや、食べたのはお前だろと言われたらそこまでだが、そんなことを言う米たちは僕がすでに食べてしまっている。
死人に口なしである。

そんなことを考えながら、その原因をさぐるべく、最近の食生活について、簡単に振り返ってみた。
確かに毎日のようにお米を食べていたが、そこまで異常な速度で消費することはなかった。
いや、むしろあまり食べていなかったはずである。

僕はゆっくりと、小さな宿舎の部屋を見回し、物陰という影に目をやった。

「この部屋には、ネズミがいるのかもわからない」

―――

しかし、記録をさかのぼってっみると、お米を買ったのは約一ヶ月前くらいのことだった。
僕にとって、一ヶ月前というのは前述したように「遠いはるか昔のこと」のように思えている反面、実際に一ヶ月前に行った「お米の購買」に関してはつい一昨日のことのように感じられていた。

はて、この時間の感じ方の誤差とはいったい、どこから来ることなのだろうか。

そんなことを思いながら、自転車で10分ほどあるスーパーに行き、5キロするお米と夕食の具材を買った後、いつもよりも幾分重い自転車をエッサコラと漕いで宿舎へと戻った。

部屋についた時には、汗だくになっていた。

「いやあ、毎回のことだけど、お米を買うってのも大仕事だな」
そんな独り言をつぶやき、僕は椅子に座り一息をついた。
そして、自然と冷蔵庫の横に置かれた新米たちに視線が落ち、しばらくその米米した姿を眺めた。

「きっと、一ヶ月後も思うんだろうな。もう米が無くなったのって」

時間の遠近感覚は身体的行動に付随する諸々の体験が大きく関わっている
・・・と僕はいったん結論づけることにした。

それが一体どうしたのか、本当にそうなのかは、正直どうでもいい。

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