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【カラオケで出会う#4】斉藤和義:ずっと好きだった

この町を歩けば蘇る16才
教科書の落書きは ギターの絵と君の顔
俺たちのマドンナ イタズラで困らせた
懐かしいその声 くすぐったい青い春
「ずっと好きだった」作詞・作曲:斉藤和義


歌太郎は、カラオケが大好き。
今日は新宿のカラオケに行く。それも一人カラオケだ。
歌太郎は、一人カラオケをする時は、中央線に乗って地元を飛び出し、新宿にいく。安くない交通費がかかるのに、なぜそんなことをするのか。その問いに歌太郎もうまく答えられない。強いて言うなら、それによって彼の気持ちが引き締まるし、カラオケで歌うという行為が一連の儀式というか、参拝というか、なにか神秘的な意味をもつような気がするのだ。

「この電車は中央線、東京行——」

車内でアナウンスが流れる。
歌太郎はイヤホンを耳から外し、その声に耳を傾けた。

「——次は新宿、新宿。お出口は左側です」

歌太郎は思った。

このアナウンスの声の主は一体どんな顔をしているのだろうか。

小学生の頃は、勝手なイメージでくるくるのパーマをしたおばさんを思い浮かべていた。しかし、年を重ねるごとにその声の主はフィジカル的な要素を失っていき、いつしか透明で形而上学的な響きだけを彼の内に残していた。

歌太郎は耳に残った顔を持たない声をなんとか手繰り寄せてみた。

この声は、女性のものだ。たぶん、口元に笑みを浮かべて話していて、その手には次の駅の名前が書かれた紙があるのだろう。そして、英語をしゃべる時は、とつぜん人格が変わったかのような変貌を遂げてしまうのだ。きっと彼女はその時の記憶を失くしてしまっていて、自分が英語を話せることを知らない。

またその声が機械的で無機質なのは、彼女がプロフェッショナルに徹しているからだ。家庭環境はたぶん複雑でいて、とってもシンプル。多くの人に見守られてきたし、ずっと一人で生きてきた。マドンナといったらマドンナだし、モブキャラといったらモブキャラ。彼女のおかけで人は出会い、そして別れる。彼女の一言が、運命的に居合わせた人々を揺れ動かすのだ。
彼女はアナウンサーであり、ナビゲーター。しかし、そんな責務の重さを感じていないうに、彼女は淡々と、そして完璧に、透明で形而上学的なアナウンスを繰り返す。今まで、彼女が噛んだ場面に遭遇したことがない。

「プシュー 新宿ー 新宿ー」

歌太郎は電車を降りた。
行き先は新宿のカラオケ。

僕らはみんなこうして年を取っていく。
しかし彼女は、いつだって彼女のままだ。


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