僕のホクロをスイッチみたいに押すなって。
僕の首の後ろには、ホクロがある。
それに気づいた友人たちは、「やる気スイッチ」と言ってポチッと押していく。
僕は押されるたびにイライラし、諸々の「やる気」が削がれていく。
押したくなる気を起こさせるホクロ。
押される側の気力を奪うホクロ。
押されるまで知らなかった、そんな魅力をふりまくホクロのことを。
押されるまで知る由もなかった、このなんとも言えぬ不快感のことを。
でも今になって、
これこそがコミュニケーションであり、その内訳なんだと気づいた。
いや、別に悲観しているわけではない。
ただ他人の思っていることと、わたしが思っていることは、たまに重なることがあるくらいに、よくすれ違っているというだけのことだ。
それは、ある日のことだった。
いつものように友人が僕のホクロを押した時、
このホクロにまつわる奇妙な繋がりに気づいてしまった。
それは、目に見えないけど、確かに血の通っているようにリアルな感覚だった。
なんの神経も通っていなかったら、痛くも、かゆくも、ましてや心地よくもないはずなのに、
ホクロスイッチは僕らの気分を浮き沈みさせる。
それは、僕らがそこに神経を通らせてしまったから。
あなたとわたしの視線によって下手くそに繋ぎ合わせた導線に刺激が加えられることで、ほら、気分が騒ぎだす。
今でもたまに、
僕のホクロスイッチは誰かに押されるし、
僕もまた、誰かの「ホクロスイッチ」的な何かを押しては不快な気持ちにさせているのだろう。
お互い気付かぬまま、すれ違いながら、複雑に絡まり合った誰かさんたちの視線によって連結しあうことで、神経を通わせてしまっている。
この複雑な神経系統を様々な感情が通過し、変換されていく。
誰かの悲しみが僕の喜びになって、
僕の痛みが誰かの傷を癒すなんてことがおこっている、みたいに。
だけど一方で、
知らないところで笑っているあなたのお陰で、僕もまた幸せになれるような、そんな真っ直ぐな繋がりもあるように「感じる」。
そう感じてしまうってことは、きっとそんな感覚的な繋がりがすでに僕らの間にあるからなのではなかろうか?
僕の首筋のホクロを押されるたびに、
世界のどこかで爆弾が爆発するわけでも、
指紋認証みたいな機能が発動するわけでもない。
ただ、
友人はホクロを押したい気持ちが溢れていて、
僕は他人の指が首筋に触れる感触に鳥肌が立つ、
それだけのこと。
でもその時に、確かに感じるのだ。
僕らはその瞬間に、まがいなりにも繋がってしまったのだと。
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