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たんすとダンス、したんです【掌編】

揺れる車内。
車の窓から見える町並みは、だんだんと広大な自然風景に変わっていった。

わたしは今日、おばあちゃんの家に行く。

―――

久々の家族旅行だ。
旅行と言っても茨城の母の実家に遊びに行く程度のことであるが、パンデミックの影響もあり家族でどこかにいくというのは1年ぶりになる。

わたしの父と母は、どちらも公務員で同じ都内の市役所で働いている。
いわゆる職場結婚をして、一人娘であるわたしを生んで、今に至る。

公務員であるからなのかは定かではないけど、両親ともとても倹約家で日頃から無駄な出費をしようとしないように努めているが、それもこれも半年に一回(もしくは3ヶ月に一回)の旅行にいくためであった。

わたしたち家族は、旅行のためなら団結して日々の倹約に耐えていくことができた。
ある意味で、わたしたちは旅行にいく、またはその当日までに至る過程において、お互いが《家族》であることを確認しあっていたのかもしれない。

それでだ、、、。
去年は感染症の拡大という未曾有の危機的状況の中、わたしたち家族は初めて年間を通してどこにも旅行にいかず、親は家と職場を、わたしは家と大学(とはいってもほとんどオンライン授業だったのでほとんど家にいたが)を行き来するだけの生活を過ごした。

わたしたちはその期間、一番近しい家での時間が増えていくなかで、むしろ家族であることから遠ざかってしまったように感じた。

それもこれも、わたしたちを繋ぎあわせていた「旅行」という一種の《儀礼》を喪失してしまったからだ。

しかし、今日、またこうして家族で家の外にでて、茨城県にある母の実家へと車は向かっている。
とても久しぶりの遠出ではあるが、とはいっても「これは」わたしが物心がついてから数十年間、何度も繰り返されてきた《儀礼》でもある。
一度、日程を確認し、道中に必要なもの、荷物をまとめて、車にのる等のプロセスを踏んでいくと、徐々に懐かしいながら馴染みのあるリズムがわたしたちの中に刻まれていった。
「わたしたちは、旅行にいくのだ」

こうして、わたしたちはまた「家族」であることを確認したのだった。

―――

おばあちゃんの家は農家で、広い畑を所持していた。
周りは山と田んぼと畑。
ここに来たのは、私が中学校3年生くらいの頃だったから、もう5年ぶりくらいのことになる。
とはいっても、子供は5年で大きくなるし、少しずつ大人に近づいていくものだが、ここの風景は5年前と大して変わっていなかったし、むしろそう経ってほしいと願ってしまう。
もっとも、それは日頃、都会の街に住んでいる者の自分勝手な「田舎像」の押し付けだと思われるかもしれないが、そんな私の思惑とは関係なく、実際におばあちゃんの家は5年前と大して変わっていなかった。

おばあちゃんの家は戦前からある古い建物で、独特の匂いがする。
わたしはその香りをかぐと、いつも懐かしい感じがした。
きっとそれこそ小さきときは長期休みになると、きまってここに遊びに来ていたからだろう。

「サヨちゃん、お久しぶり」

おばあちゃんが家の奥から出てきた。

「うん、久しぶり!おばあちゃん、元気にしてた?」

わたしは久しぶりに、孫になった。

―――

わたしは、居間で楽しそうに話している両親やおばあちゃんたちを部屋に残して、家の中を探検することにした。
大学生にもなって、「探検」なんて言っていると、もしかしたら幼稚に思われるかもしれないが、やはりこういうのはいくつになっても探検なのだ。

庭にでてみたり、ふすまを開けてみたり。
おじいちゃんはもう早くに亡くなってしまっているから、この大きな家をおばあちゃんは一人で住んでいるため、大体の部屋はあまり使われていないか、物置になっていた。
そこらかしこに、人気のない寂しさが漂っていた。

ギギギッ、ミシミシ

廊下を踏みしめる音が鈍く響き、なぜか背中がゾワゾワしてくる。
居間から聞こえてくる声が、気づけば小さくなっていた。

どうやら、遠くまで来たようだ。
探検はついに、佳境へ向かおうとしているようだ!

―――


わたしの目の前に、ひっそりと佇むふすまが現れた。この光景を昔見たような気がする。
そういえば、まだわたしが小学生の時だったか。夏休みの時に泊まりに来た時に、同じ時期に遊びに来ていた従兄弟たちとこの部屋で遊んだ記憶がある。

わたしは懐かしさを感じつつ、ふすまを開けた。
そこには一つ、「たんす」が置かれていた。

「あれ、たんすしかなかったっけ?」
わたしは部屋を見回しながら、たんすのそばに近寄った。
それはとても古いたんすで、見るからに戦前から使われているようにも見えた。
その部屋は数十年前の空気をそのまま残しているかのように、部屋の外とは違う時間が流れているようであった。
「換気した方がよさそうね」
でもこの部屋に窓はなく、ただたんすだけが置かれている。

わたしはたんすに手を置いて、ポンポンと軽く叩いたり、押してたりしてみた。しっかしとした反発が手のうちに残った。
「まだ使えそう。とても丈夫なのね」

ポンポンポン・・・

頭のうちに、さっきほどのたんすの音が、はっきりと頭の中に響いてきた。

ポンポンポン・・・

わたしはじぶんの手を見た。手の表面にはまだその感触が残っている。

ポンポンポンポンポンポン!

たんすの方に目を向けた。たんすが強く鳴り響いている。
その震えがわたしの鼓動と重なって、体中を震わせている。

「ああ、なんだろう、これは」

気がつくと、わたしは《たんすの響き》に合わせて踊っていた。
体の奥底からリズムが溢れ出てきて、わたしは夢中になってステップを踏み、体をバネのように縮めては伸ばしては、空中を舞った。

わたしはこれまでダンスなんてものをしたことはなかった。
しかし、この瞬間、わたしはダンスそのものを手にとるように感じていた。
震える生命の声が聞こえ、それに呼応するように体が飛び跳ねる。
わたしはただ、その媒介となっているだけだった。

頭に情景が浮かんできた。
若い男女がそこに立っていた。そして、お互い愛し合っていた。
しばらくすると、新たな生命が生まれた。
美しい鳴き声が、家中に響き渡った。
ああ、この声はうちの母だと、わたしは思った。

わたしは踊り続けた。
この家の歴史がどんどんと私に流れ込んでくる。
いろんな人が見える。笑ったり、泣いたり、怒ったり。
その声が家中に響き、柱という柱に染み込んでいた。
そして、だんだんと時間は今に近づくにつれ、音はどんどんと小さくなり、、、

ふと我に返った。
わたしはつい先程まで長距離走でもしていたかのようにゼイゼイと肩で息をし、体中が汗まみれになっていた。

わたしは突っ立ったまま、しばらくたんすと向かい合っていた。
たんすは相変わらず、そこに静かに居座り続けている。

「サヨ〜」

遠くからお母さんの呼ぶ声が聞こえた。
それは「赤ちゃん」ではなく、「大人になった」母の声だった。

その声を聞いた時、目の前のたんすが嬉しそうに笑っているように見えた。

「サヨ、こんなところにいたのね」
お母さんが部屋に入ってきた。
「あら、なんでそんなに汗だくなの?」

「たんすとダンス、してた」
わたしは正直にそう言った。

「たんすとダンス?」
母が不思議そうに聞き返してきた。

「うん。わたしたちね、けっこう上手く踊れたんだから」
汗を拭いながら、わたしは母の顔をじっくりと眺めた。
あんなに小さかった子がこんなに大きくなったとは、娘ながら感慨深かった。
「どうやら、この家もね、わたしたちを歓迎してくれているみたいなのよ」
「お母さんもそんな気がしてるわよ。それよりもほら、おばあちゃんが冷えたみかんゼリーを準備してくれたみたいだから、一緒に食べましょう」

―――

部屋を出る前に、わたしはもう一度たんすを見た。
薄暗い部屋の中でまた眠りにつくような雰囲気の「彼」に、わたしは頭をさげてからふすまを閉じた。

―久しぶりの旅行は、わたしに《家族》を思い出させてくれた。





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