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やる気がまったくありません。【掌編】

「鹿島さん?これ3部だけコピーとっておいてもらえるかな?」
先輩の柏さんが、僕に声をかけてきた。

「はい!コピーをしましたら、先輩の机に置いておけばよろしいでしょうか?」
僕はおろしたてのワイシャツのような笑顔で答えた。

「うん、よろしく!」
柏さんは、にっこり笑って会議室へと向かった。

「承知いたしました!」
僕は漬けたてのキュウリのようにシャキシャキと返事をした。

でも、本当はコピーなんてするつもりはない。なぜなら、やる気がまったくないからだ。

「鹿島くん、悪いけど資料室からPPAPの資料持ってきてもらえるかな?」

「はい!すぐにお持ちいたしますね!」

でも、本当は資料なんて持ってくるつもりなんてまったくない。やる気がまったくないからだ。

「あ、鹿島くん。浄水器の水が切れちゃっているみたいだから、新しいボトルに取り替えておいてもらえるかな?」

「はい!」

もちろん、そんなことするつもりはない。やる気がまったくないから。

「あ、鹿島くん!」

「はい!」

「鹿島くん!」

「鹿島くん!」

「鹿島くん!」

「はい!はい!はい!すべて滞りなくやっておきます!!この鹿島にお任せ下さい!!」
僕は手帳に頼まれごとを、そのつどサラサラと書き込み、笑顔で上司や先輩に答えた。

しかし、どれもこれもやるつもりはない。なぜなら、やる気がまったくないからだ。

僕は会社の近くにある公園のベンチに座って一息ついた。
頼まれごとをたんまり抱えに抱え、さらには自分からやりましょうと手を挙げて背負い込めるだけ背負いこんできた。
実は、なにもするつもりもないのだけれど。

僕が請け負えそうなこと、雑用からちょっと大事なことまで全部、手帳に書き込んでおいた。しかし、その手帳はさっきゴミ箱の中に捨てしまった。
何もする気がないのだから、然るべきことをしたまでだ。

僕は公園の入り口で買った缶コーヒーを開け、ひと口飲んだ。
なんとも、甘さが無闇に口中に広がり吐気がしたが、ブラックよりかはいくぶんマシだった。甘くないコーヒーなんて、ただの焦げ付いた水でしかない。

僕は今、どこにいるのだろうか。
会社の同期は半分やめてしまった。
その中には、入社当初から仲良くしていた奴もいた。そいつは結局鬱になって自宅に引きこもり、今では5Gでも連絡がつかない世界にいってしまった。

僕は今、なにをしてるんだろう。
ちょっとした復讐のつもりだったのか。それとも、ちょっとした弔いのための余興だったのか。
いや、違う。僕はただ、やる気がまったくなくなってしまっただけだ。

それ以上でもそれ以下でもない。ただゼロになっただけなのだ。そして、昼下がりの公園で一人、たばこではなく、甘ったるい缶コーヒーをのんでいる、そんな僕は一体だれなのか。

見わたす限り、世界は忙しく動いている。

僕が飛ぼうが飛ぶまいが、変わらず社会は動いていた。僕が会社に置いていった混乱は、すぐに何事もなかったかのようにならされていくのだろう。

多くの仕事がそうであるように、新人の僕が抱えることができたことはただ多いだけで大したことではなかったのだ。そこに穴が空いてしまっても、誰かにちょっとした迷惑がかかり、誰かが誰かに頭を下げることになるかもしれないし、そうでないかもしれない、それくらいのことなのだ。

缶コーヒーは無意味に甘いし、僕は無意味に逃げた。泣こうにも涙はでないし、ため息をつこうにもそのための空気すら僕の中に見当たらない。
いや、はじめから見つけるつもりもないのかもしれない。

なぜだか、救いようもなく、やる気がまったくないのだ。

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