似顔絵_社長_2_4

日報 4月10日 お弁当に愛を込めて

記入者:かくなみ みほ


近頃、SNSでお弁当の投稿をよく見かけます。

私の周辺だけでしょうか。
それとも春の温かさのせいでしょうか。

わたしは、お弁当がある風景がとても好きです。

「お弁当」という言葉を見たり聞くだけで、
なんだか心が浮きたちます。



弁当箱の中に入っているおかずやおにぎりを食べるだけでなく、
お弁当の行為自体を「お惣菜パン」で済ませることもありました。

片手間で食事を終えてしまうのは、
ちょっともったいないような気もしますが、

お気軽に“はむはむ”できるあの感じをとても気に入っていました。



北海道で暮らしていると、
大型トラックとすれ違うことが頻繁にあります。

すれ違いざまにチラ、チラと、
運転席と助手席に座っている人たちが視界に入ってきます。

ときたまの出来事ですが、

早朝や昼ごろにトラックとすれ違うと、助手席に座っている人が、
「はむっ……」とお惣菜パンをくわえている瞬間に遭遇します。

そのくわえ方が、とてもおいしそうなんです。

お仕事中だから味なんて気にしていられないかもしれませんね。
でも、それも込みで、雰囲気がなんとも言えず素敵で。

その光景を見たわたしはその後、
猛烈に惣菜パンが食べたくなるのです。



朝早く起きて焼くたまご焼き
前の晩に残った揚げ物
冷凍食品のカニグラタン
自家製の梅干し
味の濃いきんぴらごぼう
コンビニのおにぎり
サンドイッチ
インスタントラーメン
スーパーのパック入りポテトサラダ

お弁当にはいろんな形がありますね。

だからこそ、お弁当の形の分だけ、
いろんな時間の過ごし方が生まれると思います。



この世には「商品」としてお弁当を作る専用の食物工場があるそうです。

商品なので、人に食べてもらうためではなく、
人に“買ってもらうため”に、彼らお弁当は生まれます。

食べたい人が何人いるかわからないので、たくさん作ります。
商品なので、一つでも多く買ってもらおうとするのは当たり前でしょう。



でもやっぱり、

おかしいな、さみしいな、とわたしは思ってしまう。

「お弁当」として彼らを生んだのだから、
彼らを残さず食べる義務が、人間にはあるでしょう。

「商品」というシールが貼られてしまった途端、
食べ物の“お残し”が正当化されて数値化される。

なんだかな。

このモヤモヤを抱えながらも、
わたしはセイコーマートの大きなおにぎりに助けられ、
たまに食べるインスタントラーメンに昔の思い出を重ね、
すれ違うトラックの助手席に座る人が何を食べているのか気になるのです。



どうあっても、お弁当の時間、食事の時間が大好きです。

目の前にあるものは、おいしく、
余すことなくいただこう。



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