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就活が不安で仕方ないあなたへ。どうか、届いてほしい。

「就活 不安」
「内定 もらえなかったら」
「就活 やりたくない」

3月1日。
22年卒の就職活動が解禁されたとの報を聞いて、そんな言葉を呪文のようにGoogleで検索して、不安を紛らわせていた日々を思い出す。

かつての苦闘の日々を回想する。いてもたってもいられなくなり、すかさずPCを起動させ、文字を打ち込む。

自分だからこそ伝えられることが、あるはずだと信じて。

これを読んでいる就活生の方へ


はじめに言っておきます。


内定獲得のためのアドバイスとか、選考を有利に進めるためのお役立ち知識とか、この文章にはそういった類のものは一切ございません。

ですので、就職活動に関する実用的なアドバイスを期待されている方や、合理的・戦略的にご自身のキャリアを検討できている方に関しましては、ブラウザバックなされることをおすすめします。
この文章を読む時間を使って企業分析や選考対策をされた方が、よっぽど有意義かと思います。

そもそも、就職活動について経験者からアドバイスをもらうとなった場合に、ぼくはその候補として最も適さないタイプの人間です。
実際、ぼくは「空前の売り手市場」といわれ、大学生の内定率が2年連続で史上最高値を更新した19卒・20卒の就職活動で一つの内定もとることができず、2度の就職留年を経験しています。
そんな奴が「就活でまずやるべきことは〇〇!」とか「面接で気を付けるべきポイントは△△!」などと講釈垂れたところで、1ミリの説得力もないでしょう?
むしろ有害ですらあります。
その手の「勝つための情報」は、その道のプロに訊くべきです。

一方で、就職活動やご自身のキャリアについて漠然とした不安を抱えている方、周りが内定をもらっている中で自分だけがうまくいかないと焦っている方、そもそも就職活動をやりたくない方。

この文章は、そんなあなたに向けて書いたものです。

これを読んでいるあなたは今、息をつく暇もないスケジュールに憔悴し、先の見えない不安に戸惑い、ときに時代錯誤な両親のアドバイスに辟易し、どこの誰かも知らない就活アドバイザーに好き勝手言われて、ソースの分からないWebメディアの情報に心をかき乱されていることでしょう。
もしかしたら、死にたいという感情さえ湧きおこっているのかもしれません。

ぼくも同じでした。
けれど、Googleで冒頭のようなワードを検索してみたところで、出てくるのは似たような内容が並ぶ就活メディアの記事か、広告収入目当ての個人ブログ。

いくらネットの海にSOSを投げ入れても、本当に知りたかったことや欲しかった言葉は返ってこなかった。
だから、自分で書くことにしたのです。
当時の自分がかけてほしかった言葉を、当時の自分と同じ境遇の人に届けるために。

これは一人の就活生の苦闘の記録です。
わりと長いです。
これがあなたにとっての蜘蛛の糸になるかは分かりませんが、少なくとも
「ああ、こんな奴でも就活乗り越えられたんだな」
という気休めくらいにはなるかと思います。

殻にこもったまま流された、19卒での就活

就職活動を始めたのは今から4年前、2017年の6月1日だった。
その日のことはよく覚えている。

ゼミの事前準備のために集まっていた教室で、同期が皆こぞって同じサイトを開き、同じ作業をしている。
聞くと、今日から就職ナビサイトでのサマーインターンの募集が解禁されるのだという。
ぼくは呆気にとられた。みんなもう就活を始めているだなんて、そんなこと考えてすらいなかった。
それと同時に、周りの流れに遅れてしまってはまずい気がした。
「やっぱコンサルだよな」「お前もAセンチュア受けんの?」なんて会話を尻目に、ぼくは慌ててリクナビで自分のアカウントを登録し、名前を聞いたことのある企業を手当たり次第にリストに放り込んだ。

当時のぼくは、自分の将来にあまり関心がなかった。
もっと言えば、現在にもあまり興味を払っていなかったと思う。
気にしていたのはただ一つ。

周りから自分はどのように見えるか、周りと比べて自分がどうであるか。

人の目を過剰に気にして、他人のジャッジに常におびえていた。

そんな調子だから就職活動にも主体性なんてものは一切なく、人気の業界やナビサイトでおすすめされた雰囲気のよさそうな会社にエントリーしては、耳障りの良い言葉を無理やりに並べ志望動機をこしらえる、そんなことの繰り返しだった。
当然、見え見えの付け焼刃が通用するはずもなく、面接でちょっと踏み込んだ質問をされた途端に言葉に詰まり、インターンの不採用通知と焦燥感ばかりが積み重なった。

3月以降の本選考では「地図が好きなので、街づくりがしてみたい」という何とも薄っぺらい理由で、不動産・鉄道業界を中心にエントリーを出した。
だが、結果は全敗。
理由は明確で、単純に業界への適性がなかったことと、いわゆる「難関」とよばれる企業にばかりエントリーしていたことが原因だった。
6月には持ち駒が0になり、両親からは「どうするんだ!」と叱責を受ける。
慌てて今からエントリー可能な大手を探す。中小企業やベンチャーなんて、プライドが許さなかった。
急ピッチでこしらえた志望企業リスト。業界も職種もバラバラ。業界研究もほんの表面的なものでしかないから、ESの時点ではじかれてしまった。

7月の初めには、ぼくはもう19卒での就職を諦め、20卒での再挑戦を決意していた。
両親に合意を得たうえで、休学の申請を済ませた。ゼミの同期にも就職留年をする人が何人かいたから、心理的負担も軽かった。
周りには「1年で経験を積んで、今度こそ就活を成功させるため」と言っていた。
違う、本音はただ逃げたかっただけだ。
地べたをはいつくばってまで、続ける覚悟がなかった。

履歴書に書ける経験を求めて

休学を決めて最初にやったことは、面接のネタ作りだった。

自己分析の結果気づいたことは、自分には大学時代に全力でやり遂げた経験が何もない、ということだ。
「今の自分に胸を張って話せる経験はない。だったらこれから作ればいい」
その手段として選んだのが、企業での長期インターンだった。
Wantedlyで良さそうな企業をリストアップして、面談をセッティングしてもらい、オフィスへ話を聞きにいく。
そんな調子で会社訪問を繰り返せば、どこか拾ってくれるだろうとタカをくくっていた。

3か月の間に30社ほどインターンへの応募をしたが、結果は30連敗。
びっくりするほど採用されなかった。
理由は単純明快で、受ける企業のことをろくに調べもせずに面接に行っていたからだ。
業務内容は採用ページにさらっと目を通した程度でわかったつもりになり、企業理念はおろかコーポレートサイトすらろくに見ていなかった。
志望動機なんてあってないようなものだった。ある会社の人事からは「君、本当にウチのこと理解して来てる?」と問い詰められたこともあった。
今思えば、こうした準備の浅さ・見通しの甘さも19卒での惨敗の原因の1つだったのだけど、当時はそこに気づくわけもなく。

最終的には長期インターン向けの人材紹介サービスを頼り、2018年の10月ごろからぼくは都内のスタートアップでインターンとして働くことになった。
そこでの経験はとても素晴らしいものだった。
成長中の若い会社が生き物のように有機的に変化するさまを当事者として間近で見られたのは、とても貴重な経験だった。一緒に仕事をした社員の方もみな魅力的な方ばかりで、将来は自分もこの人たちのように働きたいと思った。半年くらい就職活動と並行してインターンに取り組んでいたのだが、内定はおろか一次選考も満足に突破できない現状に危機感を感じ、2019年の4月いっぱいでインターンを辞めることにした。

経験を積み、就職活動全体への理解も深めたうえで、満を持して挑んだ2度目の就活。
インターンの経験も影響してか、志望業界はITや教育が中心だった。そして特に際立った変化として、ベンチャー企業へのエントリーが増えたことだ。
自己分析もばっちり済ませ、将来の目標まで固めた。

しかしそれでも、全く結果は出なかった。

持ち駒は日に日に少なくなる。去年と同じ轍は踏まないよう、逐一追加でエントリーを増やす。
日付が変わるころまでESを書き、眠い目をこすって面接に向かう日々。それでも状況は好転することはなく、徒労感だけが残る。
いつしか「選考結果のお知らせ」という題名のメールが「不採用のお知らせ」と読めるようになっていた。

「こっから、この時期にかけての記憶がない」

けれど、それにもまして何よりも辛かったのは、(父)親の干渉だった。
1年経っても内定どころか最終選考にも進めない息子の状況を見かねてか、こちらの意思に関係なくエントリー企業のリスト作成や面接の回答テンプレの作成を半ば強制的に行わされた。そうしてできたものは両親の目で添削にかけられ、親の言う内容と一語一句違わず修正させられる。
期日までに完成できていなかったり、作ったものが親の要望と違っていたならば、たちまち1時間以上にわたる”説教”が始まる。
それでも納得しないようなものなら、挙句には「お前は腐ってる」「いいから黙って言うとおりにやれ」などと、ほとんど罵倒のような言葉を浴びせられた。
本当に気が狂いそうだった。誰のためにやっているのかがわからなかった。
入りたい会社に入るためではなくて、親から怒られないために就活をやっているような気がした。
「お前のためを思ってやっているんだ」という言葉が、親子関係をダシにして一方的な従属を強いているようにしか聞こえなかった。生まれて初めて、心の底から親が憎いと思った。
何度も家出してやろうと思った。だけどいざ対面すると怖くなって、何もいうことが出来なかった。そうして一人部屋に戻ると、悔しさと怒りで頭をぐしゃぐしゃにした。
俺は結局、親の言いなりになるしかないのか。
机に頭を叩きつけたりもした。痛くて仕方がないからノートに汚い言葉を書きなぐって、なんとか気持ちを落ち着かせた。

正直、2年目(2019年)の7月から9月ごろにかけての記憶は、あんまりない。
ものすごく精神的にキツかったことは覚えているのだけど、具体的にどんなことをしていたか、誰と会っていたか、そういうことが全然思い出せない。
ただ、後日友人からは「お前あの時、今にも死にそうな顔してたよ」「だいぶ表情明るくなったよね」みたいなことを、口々に言われていた。

9月も終わりのころ、唐突に両親から「今年はもうやめろ。もう1年休学して、来年の新卒採用を目指せ」と言われた。
セコンドからタオルを投げ入れられた瞬間だった。
もう抵抗する気力も失せていたから、ぼくはすんなりその提案を受け入れた。
2度目の就活は、TKO負けで終わった。

新卒の外側で生きる人たち

就活を中断してしばらくは、虚脱感で何もできなかった。
家の周りを延々とあてもなく徘徊したり、外のベンチに寝ころんでビルの合間から空を2時間くらい眺めたりしていた。
そんな生活を1週間ほど続けたのち、「とりあえず、生きてみるか」という気持ちが自然と湧き上がってきた。

当面の食い扶持を稼ぐためにアルバイトを始め、大学院の進学も視野に入れパンフレットを集めた。
はぐくむという会社が主宰するLDSというカリキュラムに参加したり、天狼院書店がやっているライティングの講座に通ってみたりもした。

新卒採用という枠組みから離れてみた結果見えたのは、自分が「社会」だと思っていた世の中のシステムは、実際に世の中に存在するシステムのほんの一部でしかなかった、ということだ。

アルバイトをしていた神保町の喫茶店では、ダンサーとして活動する人や経歴が謎すぎる酒豪の女性など、これまで自分がおおよそ交わることのなかった人たちと一緒に働くことができた。
はぐくむが展開するコミュニティの中では「自分らしく生きる」を合言葉に、自己探求と相互扶助の輪を作って生活している若者たちの姿があった。
世の中で活躍されているライターや文筆家の中には、就活に失敗してそこから活路を切り開いていった方が結構な数いることを知り、彼らの紡ぐ言葉に勇気づけられた。

コロナ、そして幕切れはあっけなく

いろんな可能性を検討したが、結局は新卒での企業就職を目指した。
理由はいろいろあるが、一番は親の意向だった。
2年もモラトリアムを延長させてもらっている次第、これ以上自分勝手なことは言いづらかったし、実家で暮らしている以上、親のルールからは逃れられないなと判断した。
それよりも、新卒で就職してお金を稼ぎできるだけ早く家を出て行くことが、自分の人生を生きるために最も合理的な手段のように思えた。

数ある仕事の中で、ぼくはいつしか「書く」仕事に惹きつけられていた。
過去2回の就活では暇さえあれば日記代わりのノートに何か書いていたし、ものを書くことは比較的得意なような気がした。ゼミの同期からは「編集者とかむいてるんじゃない?」と言われたことから、出版や新聞、制作会社などを中心に見ることにした。

こうして、みたび新卒での就職活動に臨んだわけなのだが、皆さんもご存知の通り、世界的なコロナウイルスの感染拡大の影響で、21卒の就活戦線は様相が一変した。
対面での面接や説明会の予定は軒並みキャンセル。選考スケジュールは白紙に戻り、先の見えない日々が続いた。

しかしながら、この変化はぼくにとっては僥倖と言ってもいいくらいに、プラスに作用した。
4月の緊急事態宣言が発令されて間もなく、都心に住む祖母が”疎開”のため家へやってきた。義母が家にいる状況では、父も声を荒げられまい。
ぼくは4~5月にかけての期間、ほぼストレスフリーで就活に打ち込めた。
加えて、オンライン選考という形式もぼくには有利だった。対面では目線が泳ぎがちだったのが、オンラインでカメラ越しのアイコンタクトが容易にできるようになったことから、面接の通過率が過去2年と比較して格段に上昇した。
5月の末には、悲願の内々定を3年目にして初めて獲得することが出来た。

そうして迎えた本命企業の選考。
残念ながら、満足のいく結果は残せなかった。
ただでさえ出版業界は狭き門。大学1年からその会社に入ることを志し努力を重ねている人もいる中で、やはりポッと出の+2歳に明け渡される椅子はなかったようだ。
本命に敗れてからは、就職活動を続ける意思は急速に萎えてしまった。
最後には軟着陸するような形で、最初に内定を頂いた会社に入社することに決めたのであった。

就活とは、いったい何なのか?

ぼくの就職活動は、失敗と断じていいだろう。

「就活の成功」というイデアがあるとして、それに近い経験から順に列を作って並べていったら、ぼくのそれは一番奥の方に置かれるに違いない。
うまくいかなかった理由を挙げればキリがないが、根底にあるのは
「理想ばかり追い求め、現実を直視できなかったこと」
これに尽きるのではなかろうか。

企業は、第一に利潤獲得が目的だ。
いかに立派なビジョンやミッションを掲げようとも、実現できなきゃ何の意味もない。そしてそれをどう実現するかといったら、企業活動によって利益を上げる以外にない。
「やりたいこと」はとても大事だ。けれどそれと同じくらい、いや時にはそれ以上に「やるべきこと」に注目する必要がある。
企業から内定をもらおうと思ったら、自分がやりたいと思うことと同じくらい、自分がその会社で役立てることを主張しなきゃならない。

ぼく自身の考えとしては、人は自分のやりたいことをやっていくべきだと思うし、人生の中で個々人がそれを追求していくべきだ。
けれど、人の3倍就職活動をやってきた者の経験から言わせてもらうと、自分の「本当にやりたいこと」なんて、今の時点でわからなくて当然だよ。
まして「自分の使命」だなんて、20そこらでわかるわけがない。
あの孔子だって、その領域に達したのは50過ぎてからなんだから。
それに、もし本当にやりたいことが見つかっているなら、あなたはすでに何かしらの行動を起こしているはずだもの。

理想は掲げながらも、現状の自分と地続きでできることを見つけていく。
その姿勢が大事なんだなぁ、と思った次第である。

もっと踏み込んだことを言えば、理想を追求しすぎる姿勢のさらに奥底には「現状の自分を肯定できていない」とか「プライドの高さゆえ自分の弱さを直視できてない」という心理が潜んでいる。
ぼくの場合「初対面の大人から諭されたくない」とか「周りに自分の底の浅さがバレたくない」って気持ちが強くて、面接で素をさらけ出したり結果を出すためになりふり構わず行動したりなんてできなかった。
低すぎる自信と高すぎるプライドゆえに、就活に本気で向き合えなかった。自分自身の底の浅さを目の当たりにしながらも、存在しないものとして蓋をした。ただ目を背けた。

そういう意味では、就活は「一番見たくない自分と向き合う機会」でもある。
そういう自分が表れるのは、たとえば自己分析だったり面接で負けが込む時だったりするのだが、いずれにせよ大きな苦痛が伴う。そこで弱い自分、醜い自分を見ないフリすることもできるんだけど、そうするとなぜか思うような結果って得られなくて、結果的にドツボにハマってしまう。
だから、否応なしに向き合わざるを得なくなる。

就活を終えてからも、しばしば「自分にとって就活って何だったのか」と考えることがある。
まだ納得のいく答えではないけれど、それは「自分の使命を見つけるための、最初の大きな契機」だと考えている。

ぼくの大学時代の恩師は「人にはそれぞれ『やりたいこと・やるべきこと』が一致する点=使命があって、それを見つけ人々に尽くすことが人生における最大の課題だ」と教えてくださった。
そういう意味では、世の中に存在する様々な仕事を比較検討して、自分の適性に合った環境を見つける就職活動は、使命を探す場としてぴったりだ。
運よく自分に合った場所に入れたならそこで頑張っていけばいいし、残念ながら見つけられなかった・入れなかった場合は引き続き探求していけばいい。
経験を積んでいく中で、やりたいこと・やるべきことが変わることもよくある話。

そういう意味で言えば「どこの会社に入ったか」なんて就活の成功にはあまり関係がなくて「どれだけ真剣に自分自身と向き合えたか」のほうが大事なんじゃないか。

最後に

長々とお話してきましたが、結局ぼくが言いたかったのは
なんだかんだで、最後はなんとかなるよ
ということなのかもしれません。

(2021年)現在の大学生の就職率は9割を超えていますし、仮に新卒でどこにも就職できなかった場合でも、その後活躍されている方々はたくさんいらっしゃいます。
それに、いわゆる「普通」のレールから外れていても楽しそうに日々を過ごしている方って、探してみると自分の身の回りにも案外いるものなんですよ。

それでも、これを読んでくださっている就活生の皆様の中には
「いや、今がしんどくてたまらないんだ!」
とお嘆きの方がいらっしゃることでしょう。

そんな方に向けて、僭越ながら最後に2つほどアドバイスを。


就職活動は、社会の一員として活躍する様々な大人と会うことができる機会です。
中には、自分が想像すらしていなかった仕事に従事している方や、面白い経歴を持った方がいらっしゃいます。
そういった「面白い大人」と出会ってください。
彼らはあなたに「素敵な言葉」を残してくれるでしょう。そしてそれは、あなたの人生の指針となるはずです。

ぼくが最初に面接を受けたある製薬会社の社員さんは、
「変わり者であることに自信を持って生きて」
という言葉をぼくにかけて下さりました。
そこから就職活動を通じて何十人何百人もの大人と出会い、様々な言葉をいただきましたが、この言葉ほど鮮明に心に残ったものは後にも先にもありませんでした。
上の言葉は今も、ぼくの人生の指針として胸に刻まれています。


そしてもう1つ。
努力が報われるとは限りませんが、精いっぱい努力したならば、その過程で何らかの気づきが得られるはずです。
その気づきを大事にしてください。

ぼくは就職活動を通じて「働くとは何か?」「自分らしく生きるとは何か?」ということを絶えず考えてきました。その過程でノートに思考を整理しては、文章の形にまとめていきました。
そんなことを繰り返しているうちに「書くことで飯を食っていきたい」と思うようになりました。
残念ながら、今の時点では直接書くことに携わる仕事にはつけていませんが、文章を書いて発信する習慣、そして「書くこと」を武器に自分のキャリアを切り拓いていこうという意志は、今も持ち続けています。

たとえ努力の果てに望んだ結果が得られなかったとしても、その過程で気づいたことは、やがてあなたの人生を変えるカギになるかもしれません。

あと、もしあなたがどうしようもなくなった時には、お力添えできるかは分かりませんが、ぼくでよければお話しくらいはお聞きいたしますよ。


最後に、就活生の皆様におかれましては聞きたくない文言とは存じますが、ここまで読んでくださった方々への感謝も兼ねて、ぼくの方からお祈りをさせて下さい。

皆さまの今後益々のご活躍を、心よりお祈り申し上げます。

それでは。

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