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カルーセルエルドラドの憂鬱
いっぱい人が死んで、なんだか地球が前よりも軽やかに回っている気がした。朝がやけに早く終わって、ふざけてやる幅跳びの測定みたいに太陽が沈んで、同時にとっぷんと夜がやってきて、また空は白んだ。俺が幼い頃に一度行ってからすぐに潰れた遊園地の、古い木製メリーゴーランドを思い出す。このままセカイ終わるんじゃね?って感じで、ああ、でもそれなのに俺は生きていて、意味わかんねー、って、仕事に行く。
ふぁ。
マスクの下から顎がはみ出るくらいの大きな欠伸をして、数時間前に抱いた女の子を思い出す。愛せるかと問い質す。結局納得のいく答えなんて自分の中だけで導き出せるものではなくて、既読のつかない《気をつけて帰って》という自分からのメッセージを見返す。いい匂いがする、そう言って笑ったあの子の笑顔に、死んだ彼女の片鱗があったのか? 無いだろ。
渋谷マークシティ前を通ってハチ公の横を過ぎた辺りで、ぴんと背筋の伸びた後ろ姿を見つけた。
誰もいないのをいいことに、いつもよりくるくると自由に回る、この世界よりも奔放な、あの子。俺の手に余る、有り余る、髪の毛一本も手中に収められない、――ああ きれいだ ぼくは、あの夏休みに一度だけ見たんだ、
つかまえることすらおそれ多い、 ハネを大きく広げ、
空をも しはいすることを ゆるされた、大きな チョウを。
「遅刻だよ」
着地に失敗したハルの頭を叩くと、可愛らしい顔がより可愛く進化して、怒ったように俺を見上げてきた。バラエティー番組のスリッパのように扱われた自分のニューバランスの靴を俺の手からさっと奪い返し、ぷりぷりと履き直す。それも可愛くて、本当に可愛くて、抱き締めたい。まあ靴で頭叩かれたら誰でも怒るか。俺でも怒るかもしれないな、そんなことを考えながら、怒ったハルを適当にあしらう。否、本当は怒っていないハルと、それを分かり切っている俺とのいつもの茶番だった。
「え、いいじゃん、その子と付き合いなよ」
仕事が終わって、昼間から酒を飲みながら、ハルに煽られる。昨日の女の子の話になって、**さんに相談をして、聞いていたハルは笑う。
笑うなよ、 なんでそんな余裕あるんだよ。怒って、拗ねて、 ――くれないと、 俺、
「いや、なんか、既読つかないし。わかんないよね」
「ひどくない? その子、櫟くんのこと好きだと思うけど」
好きだったら、何なんだよ。ゆずハイボールをゆっくりと飲み込む喉に見惚れて、顔に見惚れて、
「俺は、」その子が、好きだよ、 だって、あの子、俺に惚れてるから。「……なんかまだよく、わからないんだよ」あの子が俺に興味を持たなかったら、俺は、 あの子のこと、 何も思わないんだ。
酒が強いハルは、普段と変わらない様子でスマホの画面に文字を打ち込み続けている。俺はふにゃふにゃしてきた眉間にしわを寄せて、眠くもないのに溢れ出てくる欠伸を噛み殺すことも出来ずに盛大に漏らす。
「暢気だよなあ」
**さんがそう言って笑うから、俺も釣られて笑う。
「俺たちが、っすかあ」
家に帰って、薄い布団に包まれながら、ぼんやりと考える。ほのかに香る女の匂いは、昨日の子のものか、他の子のものか。死んだ彼女のものか。その区別すらつかない俺は、彼女より 先に、ずっと先に 死んだ方が良かったのかもしれない。
俺の彼女は、 みんなから、モニカと呼ばれていた。足にムカデのタトゥーを入れていることと、性癖が歪んでいること以外は、至って普通の女の子で、本当に、 本当に、
好きだったはずなんだ。
でも、それも全然、もう、わからない。
彼女の本当の名前も、その姿も、匂いも、優しさも、 俺が見ていたまぼろしだったんじゃないか、 そう思えるくらい、彼女はあっさり死んでしまった。 死に目に遭えず、葬儀も行けず、そのタイミングで壊れたアイフォン。 あの子と映る俺の写真は、一枚もない。 ない。
ぬちぬち、と、メッセージを打つ。
《ちゃんと家帰れた?》
一瞬で既読がついて、一瞬で、ぽこん、と文章が浮かび上がる。
《そんな酔ってなかったでしょwだる絡みやめてw》
《だる絡み言うなwそれならよかった!また明日》
既読。スタンプ。寝るわけがないのに送られてくる、感情のないおやすみ。
明日。 普通の明日が普通にやってきて、普通の一日を送る。まるでそれが絶対かのように。想像できるか? 人は急に消えてしまう。 尊さを。 幸せを。 俺がぞんざいに扱ってきた日常は、あまりにも唐突に復讐をしてきた。
ハルは時々笑って言う。「もうなんか、死ねないと思う」。 俺も釣られて笑う。「お願いだから、死なないで」。
ぽこん、とメッセージが浮かぶ。ハルかな、と思ったら、昨日の女の子だった。
《帰ってめっちゃ寝ちゃった〜笑 お仕事終わったかな? おつかれさまです♡》
う〜ん。ハート好きなんだよなあ。
返事を打とうとしたら、急に吐き気に襲われてトイレに走った。情けない音を立てて吐いていると、脳がぐらぐらと回った。
まあ、なんでもいいかなあ。
ぼくは、夏休みにつかまえた、 カブトムシのことを思い出す。 夜になるとキラキラしながら回っていた、メリーゴーランドのことを思い出す。
いう を ゆう って 言うと、モニカはなんとなく、いやそうな顔をする。 ほんとはぼくだって、君の足にある、ムカデのタトゥー、いやなのに。
一通り吐き終えて、寝て起きて、仕事。
たぶんこの女の子と付き合って、フラれて、またハルの頭を叩く。うん。もうなんか、それでいい。
来世は幸せ。