#1 カラダが資本

この文章を書くにあたり、自分の減量体験を通して、改めて様々な側面から、人間のカラダとは何か、を考えてみることにした。そこで、まずすべての人に以下の質問を投げかけてみたいと思う。

「あなたは、自分の人生の中心に何を据えているだろうか?」

仕事、金、夢、親、恋人、子ども、遊び。
あなたを取り巻く多くの事柄が、日々あなたの感情を追い詰め、煽り、戦わせていることだろう。もっとポジティブに「夢が自分を頑張らせてくれる」と思っているかもしれない。ハッピーな気分になったり、充実感を与えていたりするかもしれない。それは、大変喜ばしいことだ。

では、それらを成すために(この現世において、自分が生きていくために)無くてはならないものはなんだろうか。

それがカラダである。

あなたは、どのぐらい自分のカラダを重要視できているだろうか。
体が資本とは、よく言ったものである。また、一方で資本主義、という言葉もある。「体が資本」→「体=資本」ということは「資本主義」→「体主義」とも言える。そう、現代は資本主義であり、体主義なのである。

近年、カラダを考えることが、ここ日本においても一つのブームになってきている。いや、もはや一つのステータスとなってきている。それは、ただ見た目に限らず、マインドフルネスや自身の幸福感、充実感をも生み出す、重要なファクターとなっている。それでも、日本におけるカラダの考え方は、まだまだ浅はかで、きちんとしたエビデンスに基づいたものが少ない。無知な人々は「飲むだけで痩せる!」や「これがあれば、腹筋がバキバキに!」など、嘘のような謳い文句に騙されるだけの、恰好の餌食となっている。あなたは騙されて買ったダイエットグッズをいくつ持っているだろうか?そしてそれを挫折した日のことを覚えているだろうか?この件に関しては第2章で細かく取り上げるとしよう。

話は少し変わるが、宗教的な観点から、カラダを考えてみよう。聖書における、カラダの考え方はこうだ。
『あなたのカラダは、誰がなんと言おうとOriginal Oneである。そしてこれは、神からのレンタル品である。あなたは借り物のそのカラダを「このカラダは俺のものだ!」と言って、ぞんさいに扱うかもしれない。でも、死ぬときに何も残すことができない我々人間は、その借り物のカラダを不健康な状態にしておいてはいけない。神に返す(死ぬ)ときに、良い状態で終えなければいけない。そして神は、あなたが善い行いをすることを望み、もちろんカラダを常に良好に保つことを望んでいる。それをせずして、神の恩恵を受けることは無い』
非常に単純で簡潔である。宗教の源泉とされる聖書にもカラダを良好に保つことが善いこと、と明記されているのである。この事実を知ってもなお、あなたは自分のカラダを見直そうとはしないのか?
まだ、納得がいっていないあなたに、さらに以下の話を聞いてもらいたい。
カラダというのは実は非常に正直で分かりやすいものである。ある一定のルールに則っている。故に、正しくアプローチすれば、必ず結果が出る。仕事以上に必ず結果が出る。人間関係においては裏切りがつきものだが、あなたのカラダは絶対に裏切らない(いくらダイエットしても痩せなかった過去を引き合いに、あなたは強く反論するだろうが、それはただカラダの本質を理解していないだけだ)
あなたは自分で自分を褒める機会を得る。これは、他の何に比べてもマインドフルネスを高められる、最高の手段である。あなたのカラダを放棄してなお、「自分に自信を持ちたい!」などとは言うべきではないし、何かを変えたければ、まずカラダから着手するのが最良であると考える。

ただ、何をすれば良いかわからない。

そんな声が聞こえてくるのが手に取るようにわかる。私もそのような怠惰な、不良な人間であった。しかし、カラダの真実を知り、ルールを理解したことで変わることができた。それをこのあとの章で、一つ一つクリアにしていこうと思う。カラダに少しでも悪いところがあると思ったら、この文章を読んで、自分のカラダと向き合ってほしい。痩せることだけが目標ではない。健康を手に入れ、その健康を一生涯貫くことを見据えてほしい。

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