論理VS感情の二項対立は超旧時代的なのでもうやめよう
概要
相も変わらずネットのレスバトルで大人気なジャンルの論理VS感情バトルだが、本気で論理的であることと感情的であることが対立的な概念であると考えている人もいるようで、ちょっと大丈夫かな、と思う次第である。
基本的には、論理側に立つグループが、感情的なグループを馬鹿にする流れなので、逆張りして、感情側に立って議論したいと思う。
また、論理VS感情のような考え方がいかに古めかしくて、論理的でないかを説明しよう。
論理的な感情・論理的な論理の存在
端的に言うと、エセ論理グループは、感情というものが、そもそも論理的だということを忘れている。
人間が何らかの行動を取る目的は、自己の効用を高めるためである。
人間が時に感情的になるのは感情的になるのが気持ちが良いからであり、同様に時に論理的になるのは論理的になるのが気持ちが良いからである(感情的論理)。
この世界で起きていることは、これ以上でもなく、これ以下でもない。ただただ人は自分の気持ちが良いように動いているだけで、これを体よく説明しようとするから、このような対立が生まれるのである。
そう考えると、感情的に話す人、というのは、必ずしも論理的でないかというと、そうではないと言うことができる。
例1:何かに感情的に怒る人がいるのは、怒る事により、対象に対して干渉し、自分の思い通りに物事を進めようとする論理的な態度である。
例2:失敗を指摘され泣き出す人がいるのは、論理的に、泣き出すことにより、自分の立場を有利にし、自分の効用が最終的に高まるようにするためである。
以上のように、感情というものも、自分が気持ちよくなるように動くという感情的な論理の元で動いているわけである。
このように考えると、論理的というのも感情的であることと同じで、論理的に考えることが、ただ自分にとって気持ちの良いことだからである。
例1:自分の主張を論理的に肯定するのは、自分の主張が肯定されることが気持ちが良いから(極めて感情的)であり、別に論理そのものを信じているからではない。
例2:何かを論理的に否定する人が多いのは、何かを否定することが楽しいからである。
なぜ気が付かないのか
前節で説明された構造が、以下のようになっているからである。
上モノの論理と感情に隠されて、低レベルにある構造である論理を忘れているからである。
実際には、土台を支える構造を無視して、いたずらに表層的に論理的であることが良いとか、いうことを主張するのは、エセ論理主義者の行うことである。
そこそこに頭が良さそうな人も、ここの部分を勘違いしているため、論理的風な主張をしつつ、全く論理的な主張とできていない人がほとんどである。
皆さんは、そういう人たちに騙されないように、また、そういう言説に加担しないように注意していただきたい。
ただただ、そういう人は、感情的に感情を否定しているだけなのだから……
そういう人に出会ったら、きっとすごく気持ちの良い体験ができるはずなので、ぜひこの記事を使って、論破してみてください。
まとめ
・人間が何らかの行動を取る目的は、自己の効用を高めるためである。
・効用を高める一環として、論理、感情が存在する。
・「効用を高める」という大原則がある上での感情的な行動は、論理的でないとはいえず、むしろ論理的であると言える。
・構造が隠蔽されているため、多くの人はこのことに気がつくのが難しく、その対立を助長している。
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