子どもは大人になっていく。それは年相応の経験を糧に学びを深め続けるということだ。
昨日、久しぶりにnoteの記事がいて、調子づいて今日も書くことにした。(笑)
書くこと、
書けること、
書くべきこと。
沢山貯めすぎてどこから書けばよいかわからなくなってきてるが、
今日も、最近強く感じたことを書くことにする。
発達に何らかの問題がある子をサポートし続け、運十年。
支援を始めた頃に 早めに関わることができた子たちは、
もうすっかり大人になっている。
しっかり発達して、社会参加が可能になり、未来を拓いている。
人生を楽しんでいる。
一方、ある程度の年齢に達してからサポートし始めた子たちは、
幼い子たち同様の年を必要とする場合も少なくない。
子育て同様、サポートはまだまだ続いていくのだ。
けれど、残念なことにほとんどの場合、学生で亡くなった時点で社会のサポートも少なくなるし、保護者も「もう、この辺で良いか・・・。」と勝手に終止符を打ってしまう。
およそ22歳くらいに。
その気持ちはよくわかる。
ここに来るまでの間、本当に大変だったと思う。
悲しくつらいこともたくさんあったであろうから。
そんなわが子がここまで成長できた。
これ以上は無理だろう。
これで十分やよね。
やっと、親としても一息つける・・・。
そんな気持ち、よくわかる。
だから、ちょっと一息つく。
ちょっと手放す。は全然オッケーなのだけど、
今まで行ってきたサポートを急にやめるのは絶対NG。
特にライフスキルに関することは。
食事、睡眠、生活全般に関すること。
これから、最後のチェックに入っていくのだから。
自分でもできるようになるための最後の練習。
おとなになったからと言って、急に手を離されると子どもは戸惑うし、
手放しても良いほどの発達に到達していない場合は、
その後もそれらの能力の獲得を目指して経験値を上げる必要がある。
能力を維持することも彼らにとっては容易くはない。
子どもの状態が後退することも普通にある。
一体何が言いたいのか?
<子離れというのは、子どもが大人の年齢になったら終わるものではないということだ。>
年齢ではなく、段階で考える必要があるのだ。
ステップを踏んでこそ
親子ともで精神的に独立することができる状態になるのである。
過酷である現代社会で
目指す目標までとりあえず努力する。
子どもがそうなれるようにするには環境整備が必要である、これまでもこれからも。
手を放すための階段が必要となる。
ちょっと休んでもいいけど、
おちこんでいる暇はない。
ここまでこれたことを親子ともに自信にして
これからも歩んでいこう。
「過保護ではなく、過干渉でもなく、お互いが自然に距離が離れていくようなる。」
それが理想である。
「目をかけるのではなく、気にかける。」
そんなことできるといいなと思う。
子どもは大人になっていく。
おとなになっても学びや成長はずっと続く。
特に境界域にいる子たちは注意が必要。
坂を転がり落ちるのか
なだらかだけどずっと続く上り坂を歩いて行ける力を育むのか
そして、私たち大人も子どもに負けないようずっと努力し続けるのである。