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発達障害を理解する~療育がいづれ教育に変わることをご存じでしょうか?

 明日の講演会の内容を考えていて
できるだけわかりやすく
もう今まであちこちで話されていることとは違うお話をしたいと思いました。
いつもは基本中の基本の情報をお伝えするのだけれど、
そんなことは今回はバッサリ削除して
シンプルに「どんな子の可能性も最大限に拓く」ためのおはなしを
したいと思うのです。
障害があるとかないとか関係なくと言うより
障害がある事を意識しないといけないのは
できることに制限があることや上手くできないことが存在することくらいで
そんなことは周りの大人が理解して、関われば良いことであって
そんなことで子どもたちが様々な機会を奪われることはあってはならないと思うのです。

できないことが多くて「障害」と診断されたなら
「療育」的なアプローチをすることになります。
「療育」的と言うのは、特に何もしなくても通常は子どもは環境に合わせて
発達し、成長していくのですが、それだけでは明らかに今ある発達遅滞が緩和されないであろうという場合に、周りの児や大人の積極的な関わりにより
発達援助がなされ、明らかに加速的に発達が促されるであろうということを行うことだと私は思っています。

ですから、「楽しければ良い。」というものではなく
「楽しくても発達援助になっていなければ、ただの気晴らし」だと思っています。
明らかに自然にしておくよりも発達が進まなければならないと思っていますし、療育を行う者もその効果を実感できなければならないと思います。

「療育」が上手く進むとそれは「教育」に変わっていく。
「教育の領域」に取りかかることができるようになるのです。
「ことば・かず」から「言語理解や表現、計算」へと移行する。
あるいは、「指示待ち」であったのが「能動的に行動」するようになる。
また、自分一人の世界であったのが、「他者」を意識して人との関わりを学び「社会性」を獲得していく。

そこまでに至るアプローチが「療育的アプローチ」だと思う。

運動することが
音楽遊びすることが
はたまた感覚統合が
ビジョントレーニングが
TEEACHやPECS、RDIやABAがどのようにその子の発達を援助していくのか?が療育士に理解できていないなら・・・。

子どもの時間は待ってはくれないのです。
大いに発達する大切な時期を逃してほしくはありません。

そんなこと、明日伝えられるかな~。

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