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 冬が来る前に
冬眠していたような
さなぎになっていたような
そんなこの半年だった。

すっかり、冬になってしまったというのに
こんな時期にさなぎから成虫になり、
動き出したいと思い始めた。

冬眠している時も
さなぎで居る時も
深く眠っていたのではなく、
日々の日常を通して、
しっかりと自分の思いや意識を明確にしていく作業を行っていた。

そんな日々の中でも
いろんな変化があり、
チャンスが訪れた。
まるで、そろそろ動き出せ!
と背中を押されているように。

で、数カ月ぶりに訪れた「note」は
ログイン作業から始まり、
全く新しい記事を投稿していなかったにも関わらず
新しい「いいね!」やフォロワーの人たちに祝福されていた。
ありがとうございますm(__)m
放置していて申し訳ない。

投稿が滞っていた時も
ずっと毎日考えていたし、
子どもたちや若者たち
保護者の人たち
先生たち
放課後デイのスタッフの人たちと関わる毎日の中で
常に深く熟考していた。

皆さんへのアドバイスが
自分自身に言い聞かせているように思える作業でもありました。


目次
1<社会貢献事業は深刻な社会課題対策に価値があるとする風潮>
2<他の子と比べない>
3<発達を援助する方法>

1.他と比べない
<社会貢献事業は深刻な社会課題対策に価値があるとする風潮>
「発達障害」という課題
世の中の仕組みが整ってきている今、
多くの社会課題の原因を生んでいるであろうことであっても
「虐待」や「貧困」やその他の急務である社会課題からするとどうしても後回しであっても良いと錯覚してしまう気持ちの落ち込みをどう捉えるべきかと考えあぐねていた。

私が子どもたちの「発達」に関する支援事業を始めた時に言い続けていた「不登校を未然に防ぐサポート」
「早期発見、早期支援」は時代とともに様変わりした。

「早期発見」は進んできたように思うが、
適切な「支援」「発達援助」は進まず、
特別支援教育と言うのは名ばかりで
今だ特殊教育をそのまま当てはめている現場が多い。
その結果、子どもたちの可能性はより一層閉ざされ、
悩み迷う若者が増加した。
子どもたちの教育環境は益々過酷になっている。

特別支援教育は現場で広がらず
「不登校を未然に防ぐ」というサポートは夢と消えた。
なぜなら、もう今は子どもたちを守るために「不登校」
「学校へ行かない」と言うことが有効な策であることを実感しているから。

時代とともに子どもたちへのサポートを変容させながら
ずっと今まで事業を行っているが、
私自身、これだけ深刻な社会課題が増加し、しかも簡単には解決できない現実を見ると、「もっと社会課題の芽の早期発見、早期支援を進めるべき」と強く思う日々が続いている。
が、しかし世の中はいかに過酷で大変な状況であるか?を解き
共感や同情を招くことができなければ、その社会課題は「大したことではないと切り捨てられる。」
そのことがたとえ行く行くは深刻な社会課題を生むことになってしまっても。
そんなことを思うとこんな私でも自分自身引け目を感じることが多くなる。
「大したことない事」と思われることに対して。

そういえば昔、公的な教育相談や医療施設への相談でよく言われたことの一つとして「では、とりあえず、様子を見ておきましょう。何かあればまた相談に来てください。」って言う文言。
親としては、「何かあった後では遅いんですけど。」って気持ちわからないみたいです。(笑)
っていうか「何かあっても、その人たちからは適切なアドバイスをもらえることなんてないことが多かった。」

そんなことを感じながら、今に至っている。
このコロナ渦ではつい最近まで環境問題に留意することが大事と言われ
プラスチック製品の製造、使用など減少傾向にあったのに、
今は、プラスチック間仕切りやシェード、テイクアウト用食器など、以前にも増してプラスチック製品が増えていたする。
SDGsはどこに消えたのか?

どんなことも小さな内に解決することがとても大事である。
それに気づいて適切に早期で介入し、取り組む事で問題が深刻になることを回避できる。
これは、自信をもって言える。
そうやって育ってきた子たちや保護者の人がどのように巣立っていったかを見ているだけに。
だから、時間がかかることも早期に長期で取り組むべきで、
ないがしろにしても良いことではないと信じること。

2.他と比べない
<他の子と比べない>
保護者の人は定期的に不安になる。
それを生む大きな要因の一つに権威者の言葉や検査の結果がある。

医療関係者や研究者は特定の狭い領域の専門家であることが多い。
だから、現実社会の視点からずれている評価を下す。
或いは、検査で得られる評価も検査者によって歪みが出たり、
その解釈が大きく違ってくることも有ったりする。
良い評価になれば、保護者は喜ぶが悪い結果や評価になった場合、
もう、地に落ちたくらい暗い表情になり、涙を流す。
そのたびに検査以外から見える評価やアセスメントで解説を付け加え、
子どもが「発達過程」に居ることを強調する。
上手く発達、成長が進んでいないところがあれば、改善策を講じていけばいいのだから。

その内に、ある時、ある場面で子どもたちの成長を知ることになる。
子どもたちは、しっかりと目に見えないところでいろんな準備を行い、
ある時、目に見える形でその発達や成長を披露してくれる。
サプライズプレゼントのように。
そのタイミングが同年齢の子たちとズレていても良いじゃないか。
そう思うんです。

3.他と比べない
<発達を援助する方法>
独自の理論とサポート法によって
今までもこれからも親子や支援者、教育者を育むことを胸を張って行うこと。
様々なサポートが存在することを否定することなく
その中でも効果的に子どもの発達を援助し、
障害を通じてサポートできる環境整備をこれからも進めていく。
「発達障害児支援」と謳えばだれもが支援者であるように見える世の中で
本当に子どもの発達を支え、見せかけの学力向上を目指すのではなく
チャイルド・ライフ・サポーター(発達障害児地域支援員)と名付けたサポーターとしてその子の人生をサポートするための発達援助を行う必要があることを今さらながら痛感している。
これから益々その子たちの長い人生を支えるための取り組みを行っていくための準備に入る。
仕事に就くだけが人生の終着点、目的ではなく
私たち同様、いかに幸せに生きていくか?を探求していくことを支えていく。
多くの悩める親子を支えることができるよう
他と比べず、ただただ目的を達成するために精進していきたいと思う。
そのための同志をもっと募りたいと思うのです。

個性といういろんな色がいろんな形で彩っていく美しい社会の実現を目指し 活動しています。 どうか応援、サポートお願いします。 今は、奈良の限界集落の地域おこし、オルターナティブスクールの創設、 組織内のダイバーシティ化推進を目標にがむしゃらに頑張っています!