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「発達障害」が話題にならない日がない社会となったのだと実感する毎日

時代が変わったのだと実感する毎日。



「発達障害」が毎日話題になっている。
多くの人がわが子のことや自分のことをブログなどで書き綴っている。
動画をアップしている。
個人的には、検索してみることはないが、
弟子が、いつも情報を共有してくれる。
時々、ニュースで取り上げられている記事は
私の方が先に見つけてSNSでシェアーすることもあるが、
大抵はスルーする。

記事のほとんどは違和感を覚えるし、
ダメだしをしたくなる。


先日アップした動画がいい例だ。


自分の思うことを話している。
自分が長いキャリアの中で、
サポートした子の育ちをエピソードとして
お話しすることが多いので、
どっかの情報も引用して共有と言うのは少ない。

わたしにとっては目の前にいる子が全てだ。




同じように見える子がどのように育ったのか?と言うことよりも
どのように発達や、育ちをサポートし、
奇跡を生み出すかのかを自分の責務と感じているからだ。

人として生まれ、生きていく中で
どのように生きていくことが家族もその子も幸せであるのか?
そんなことを考え続けた人生だから
自分なりの専門家としての応えを持っている。

マインドコントロールのように
みんなが同じように考えなければならない。とは
全く思っていないので、それぞれがそれぞれの考えで良いのだと思う。

ただ、子どもの発達にはある程度の基準や、発達の順番がある。
それは人間も動物も同じである。
生まれてすぐには歩けないという風に。

そして、高度な能力を発揮することができるように
子どもが私たちに示してくれる。
脳がどんどんと五感を介して、バランスよく発達しようとするように。

能力が低すぎても
高すぎても生きづらさを抱えて生きていくことになる。



発達凸凹である。
だから、できるだけ発達期と呼ばれる脳が著しく発達、変化する時期に
様々な方向から発達、成長の援助をしていくのだ。
その先の教育につながるように。

ユニークさは強みになるけれど、
強みだけでは社会の中で生きていくのは難しい。


人として感情豊かで、他の人のことも考え、言動、行動することが
可能にならなければ、社会参加は難しい。
誰かの助けを一生必要とすることになるからだ。
日常生活が一人では営めず、家族、あるいは家族以外の助けが必要になるということだ。

もちろん、誰もがお互いに支えあって生きているのだが、
そういうことではない。

「障害」があるかどうか?と言うことでもない。
特別な能力に恵まれているかどうか?と言うことでもない。

自分のことを理解し、
支えてくれる人がどのくらいいるのか?
自分自身の「幸せに生きる」ということがどういうことなのか?を
知っているかどうかということだ。

「発達障害」が何なのか?
の答えを見つけることではないのだ。

分断された世界に身をおいて安心することでもない。

今夜はメンバーたちと「保育」について議論する予定。


発達障害エキスパート
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