見出し画像

【LGBTQ +】 あの頃の自分に声をかけるなら

 
 小さなころ、思い出として記憶が残るまえ。そんなころから私はずっと男の子っぽかった。街でも必ず「ボク?」と呼ばれていた。そんな頃、親に言われたフレーズが20年以上経ったいまでも頭に残っている。

それは「ずっとそんなことしてたら、男の子になっちゃうよ」という言葉。


幼すぎてまだなにも知らなかった私は「そうなのか、それならそれで良いかも」なんてその言葉をずっとどこかで信じていた。そちらの方が私には自然に思えたから。


ただ、当たり前だけど、いつまで経ってもそうはならなかった。



物心がつく前から、男の子っぽかった私

 まだ物心や自我すらないような頃から、私はずっと男の子のようでした。ただ、自分の意思を伝えられないようなワケも分かっていないほど小さいときは、いわゆる「女の子」の姿でした。それは両親が選んだ可愛い花柄のワンピースやピンク色のパジャマを着させられて、髪型もボブカットにさせられていたからです。でも、少しずついまの顔の面影が色濃く出始めた辺りからの写真は、全く違いました。

耳がクリッと出たベリーショート、半ズボンに青いTシャツ、パジャマはウルトラマンがプリントされたもの。どこから誰がどうみても男の子にしか見えない姿。



ふと撮られた当時の写真を見ても、棒を持って庭でチャンバラをしている姿だったり、足で地面を蹴るタイプの車のオモチャに乗っている姿だったり、仮面ライダーの武器を持ってポーズを決めた写真ばかり。

街の人からは「ボク?」と声をかけることが当たり前だった私。
それに対して「うん!」と返事をしていた私。



幼稚園に上がっても女の子と遊ぶことは稀で、いつも仲良しな男の子3人組で遊んでいて。女の子たちがお人形遊びやおままごとをする一方で、私は校庭に出て男の子たちとサッカーやジャングルジムで鬼ごっこするなどいつも走り回っていました。


男女の身体的な明確な差もそこまで気にならなくて、男の子と遊んでいても恋愛に絡められることもない。自由で、気楽で、ありのまま。



大丈夫、そのうち女の子らしくなるわよ

 そんなころ、母が幼稚園でお母さん同士の輪で話をしているときに会話の内容が聞こえてきたことがあった。

「ウチの子、ずっとあんな感じで」
大丈夫。ウチのお姉ちゃんの方もずっと男の子みたいで心配してたけど、小学校に入ったぐらいからちゃんと女の子らしくなっていったわよ」



……そっか、私はこのままじゃいけないんだ。普通はもっと女の子らしくなるのが正解なのに、私は少し違うんだ。そんなことを思いながら、私はたったいま聞いたことから逃げるように、友だちが蹴ってきたサッカーボールを追いかけた。



私はいつか、女の子らしくなるのだろうか。

当時の私ですら、そんな未来は想像できなかった。周りはどんどん「女の子らしく」なっていくのに、私はそうなりたいとすら思わなかった。そう感じる日はいつまでも来なかった。

もし生まれてくるときに性別を選べたとしたら、男の子を選んだかも知れない。もしかしたら、それこそ幼少期に男の子になれたのなら、そちらの方が自然だったと思ってしまう。そのぐらい私は「女の子らしい」姿になっていくのが苦痛だった。


あの頃から20年近くが経ったいまも、自分の気持ちはあまり変わっていない。根本は変わっていない。女の子らしいフェミニンな服装も髪型もできない、したくない。すでに女性として生まれている以上、そこから性転換をしてまで男性になりたいという強い気持ちもない。私の性別は一体なんなのだろう。大人になるにつれてさらに濃くずっと考えている。



誕生日プレゼント

 5歳の誕生日。両親は共働きだったため、誕生日の少し前にトイザらスに連れていってもらった。自分で好きな誕生日プレゼントを選んでいいと言われた私は、店内に入ってすぐにトミカや仮面ライダーのおもちゃが並ぶ、青っぽいエリアへと足早に駆けていった。途中にチラッと見えたリカちゃんなどが飾られた棚一面がピンクっぽいエリアは、自分向けじゃないと立ち寄りさえしなかった。



色々と迷った挙句、当時好きだった戦隊モノ(百獣戦隊ガオレンジャー)の武器セットを見つけて、これがいい! と母に差し出した。母は「これがいいの?」とそれ以外は特になにも言わずにレジに向かい、そのままプレゼントしてくれた。



帰りの電車では、家まで待ちきれずに紙袋からそれを取り出し、おもちゃの箱を抱えながら、この赤い武器が主人公のもので、これがブラックの武器でこれはブルーの必殺技でと母に説明しながら帰った。私はずっと隊モノや仮面ライダー、ウルトラマンが大好きだった。それは「カッコいい憧れ」という意味合いの好きで。



従姉妹と誕生日が近かった私は、従姉妹の家族と合同で誕生日会をすることになった。そのとき叔母に誕生日プレゼントを自慢しようと、ガオレッドの武器をグローブのように手にはめて、ボクサーのようにステップを踏みながらファインティングポーズを取って見せた。すると叔母は少し引きながら、心の声が漏れ出したようにポツリと「男の子みたい」と言ってきた。その言葉の奥に見えた叔母のなんとも言えない引きつった笑顔と表情が、私を落ち込ませた。



それからどことなく謎の罪悪感のような後ろめたさが芽生えてしまって、両親の手前ではそのおもちゃで遊ぶことを控えるようになった。



まるで男の子みたい。

いろんな人から言われてきたその言葉。その言葉の向こう側には、いつも少し意味を持った目があった。


変に思うだろう、そう感じる感覚も理解できる。
でも私にとってはこれが変ではなく、ありのままの姿なのだ。


そのことをどうにも説明できず、いつもそんな目を受けていた。



兄からの影響

 幸いにも私には兄がいたため、私は興味を持ったおもちゃで遊ぶことができていた。ベイブレードや遊戯王、ミニ四駆など。さらに兄がサッカー部に入ってからは兄と一緒に公園でサッカーをしたり、兄の友だちに混ぜてもらって一緒にプレーしたりなどとっても楽しかった。


ただ、それも年齢を重ねるうちに出来なくなってしまった。


たまに同じ幼稚園の、女の子の友だちの家に招かれることなどがあったけれど、逆にそのときはどこかつまらなくて、どんなふうに楽しんだら良いのか戸惑うことが多くて。



私だけ、他の女の子となにかが違う。
でも、男の子と全く同じなわけでもない。



当時の私はあまり深く考えてはいなかったけれど、学年が上がっていくにつれてそんな雰囲気を感じるようになっていった。



小学校における男女2極

 そんな私も幼稚園を卒園して小学校に入学。幼稚園ではそこまで男女の差は感じなかったけれど、小学校に入ったあたりから急に「男女」という2極の現実が炙り出された。

グラデーションのような性別では弾き出されるかのように、男女のどちらかに所属しなければならなくなった瞬間だったのかもしれない。


ブルー(男の子)
 or
ピンク(女の子)

私はそのどちらでもないような感覚で、仮に表現するのであればそれがマーブル状に混じった感じなのに。


一人称問題

 そんななか私は、一人称をどうすれば良いか迷っていた。自分のことを「わたし」と言いたくない。周りの男の子の友だちを真似して「オレ」と言ってみたら相手から「オレ!?」と驚かれて、やっぱりこれもしっくりこないとなった。「ウチ」でも「アタシ」でも「ボク」でもない。

結局は自分の名前を呼ぶか、もしくは言わないことにして「自分はこう思う」など言い方でなんとか誤魔化しながら、どうしてそんなことに違和感を覚えるのか分からなかった。いつも性別というものが私を、自分自身のことを考えさせては悩ませていた。

中学校ぐらいからは、男性でも「私」ということもあるもんね、なんて自分を納得させる理由を見つけて「ワタシ」と言えるようになった。


ただ、学校で授業を受けて勉強をしても、いつまで経っても自分が抱えるナゾの気持ちのモヤモヤは晴れないし分からないままだった。



当時の自分に声をかけるなら

 もし私が当時の自分に声をかけられるとしたら、一体どんな言葉をかけるだろうと考えることがある。

「ありのままでいいんだよ」?
「自分らしく生きてね」?
「好きな自分でいてね」?


いろんな言葉が思い浮かぶけれど、結局は大人になって26歳になった今でも、私は明確な言葉がかけられないだろうという結論にいつも辿り着く。


性別。私が20年以上ずっと考え続けているもの。
いまだに答えは出ない。




あの頃の延長線上にいる自分から振り返ると、ありのままの無防備な姿で生きられるほど穏和な環境ばかりじゃなかった。小学校では「男女(おとこおんな)」と呼ばれたり、今までと同じノリで男の子の友だちと遊んでいたら「付き合っている」「複数の男子に媚を売っている」などと噂され、高校では「実はそっち系で、レズなんじゃない?」と話題に上げられた。


その度に私は自分や周りの人を守るために、自分自身のことを隠したり偽ったりして上手くバランスをとりながら、大人になってきた。


だからやっぱり「ありのままで」なんて無防備な言葉を当時の自分にはかけられない。


大人になったいまでも「男の人? 女の人?」という言葉が耳に入ってくることがある。どこに行っても、自分以外の人間が存在する限り「性別」から逃れることはできない。でも、偽りの自分でずっと生き続けられるほど、人間は賢くはなれない。どこかで限界が来てしまう。そのことを知った。


だから、私は「まるで男の子みたいな」女性に生まれたことを受け入れて、同性が好きだということも大切に、だからこそ出会えた人たちに感謝して、人とは少し違う少数派の道を歩む人生をどうせなら楽しみたい。


もしも当時の自分に声をかけるなら「どうせなら、楽しんでね」と声をかけたい。なんじゃそらと笑われると思う。お気楽な言葉だなと。


きっとあなたはこれからいろんな経験をすると思う。ときには傷つくことも孤独を感じることもあるだろう。でも、どうせなら、人と違うことを楽しんで、その見た目も性別も性格をも受け入れて精一杯楽しめるような人生を歩んでほしい、と心から思う。


ロミオとジュリエット。この世はまだまだ愛するもの同士が結ばれない理由がたくさん存在する。でもそれは理由自体が原因なのではなくて、固定概念のせいだったりする。性別、国籍、人種など。少しずつ変わってきて入るけれど、家柄の関係でこの世では結ばれることのなかったロミオとジュリエットの話を観るたびに、現代であってもまだその延長線上なのだといつも実感する。

あの話の結末が悲劇なのか、喜劇なのか、私は今でも分からない。ただ、もし来世というものがあると仮定したら、また生まれ変わった来世で、時代が進んだ先でまた2人が今度はちゃんと結ばれる運命が待っていると良いなといつも願ってしまう。ずっと昔は、家柄などの関係で一緒にいられなかった分、現代ではずっと一緒にいられるような、そんな生まれ変わりが。


たとえ、2人共が同性に生まれ変わっていたとしても。


私は、ロミオとジュリエットにおける「家柄」という問題を「性別」へと変えて物語を観てみることが多い。そして現代であればどうだろう、と考える。


もっともっと時代が進んでいって、進化していったら、自由で柔軟な世界になるだろうか。オセロが裏返るように、色の違うオセロで挟んだら、一気にひっくり返って色が同じになってくれるだろうか。それともやはり黒と白という対極が存在する限り、交わることは一切ないのだろうか。

そんなことを考えながら、私はいつも正解のないことを考える。

性別に関する私の答えは、今後もきっと出ないだろう。でも、それでいい。
グラデーションのように、性別がマーブル状に混じり合う私。それすらも受け入れて生きてゆく。どうせなら楽しみながら。



Enjoy & Bon voyage!(楽しんで、良い旅を!)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?