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【同性愛】 貴方に伝えられなかった言葉

 「あなたのことが好き。大切に想ってる、本当に」
並んで歩く貴方の横顔を見ながら私はハッキリと言った。


貴方は次に踏むべき横断歩道の白線を見つめるように目線を下げて、黙っていた。白線を踏むか、それ以外を踏むか。少し迷いながらも伸ばした足は白線を踏んでいた。近くを見つめているようで、遠くを見るような目。なにかを考えるときによくする貴方のその目。


そのとき貴方がいったいなにを考えいてるのか、それがずっと知りたかった。どんな言葉でもいいから取り敢えず答えが欲しかった。けれど、答えを知れることはなかった。言葉はなにも返ってこなかった。

受け入れるわけでもなく、拒絶するわけでもない。その無言のリアクションが貴方からの精一杯の愛なのだと私は自分を納得させた。


そういえば、横断歩道の白線だけを踏んで渡るというゲームを小学生のときにしたことがある。安全なのは白線の上だけというルールを自ら決めて、それらを踏み外してしまわないように、確実に白線の上だけを踏んでゆく。黒い部分ではなく、なぜか白線を。等間隔に描かれた白線。それを着実に渡っていけば、向こう側に安全にたどり着ける。人生の段階も、そんな感じなのだろうか。



卒業、就職、結婚、子ども、定年、孫。それらの段階を着実に踏んで行ける人は、どのぐらいの割合で存在しているのだろう。それらを一つでも踏めなかった人は、向こう側には渡れないのだろうか。では、それらを踏めない人は一体どうすればいいのだろう。誰だって、何かしらのマイノリティではないのか。

マジョリティが、すでに誰かがちゃんと舗装をしてその上に引かれた線の上を安全に渡っていく。大勢の人が同じ方向を向いて一斉に渡るから、安心感がある。自分は間違っていない道を歩んでいるのだと思うことができる。車も歩行者だと認識して止まってくれる。歩行者優先で、車は止まらなければならないと国の法律で守られている。道を安全に渡るという権利が守られる。



でも、私はそこを歩けない。大多数と同じようには歩んでゆけない。結婚という法律に守られることはなく、車にも歩行者だと認識してもらえないことの方が多い。どれだけ一緒にいても同じ指輪をはめていても、女同士だから。どこまでいっても仲の良い2人という認識。大多数が普段何気なくしていること一つとっても、私はいつも考えさせられてしまう。



だから、貴方には真正面からそんなことを伝えられなかった。私と同じ道を歩む覚悟をいまここで決めさせられないことも分かっていた。みんなと同じ道、大多数が進む道のほうが先が見通しやすい。私にも分かっている。20代半ばに差し掛かった私たちは、少数派の道を行くと決めるのには相当な覚悟がいる。


私には、すでにその覚悟があった。自分の気持ちに、同性にしか恋愛感情を抱かないという事実に、10年以上前から気が付いていたから。その覚悟は10年以上をかけて決めたものだ。高校生のときに自覚してからも何度も揺らぎながら、異性を好きになる日がいつか来るのではないかと、ずっと待っていた。でも、やはり訪れなかった。自覚してから訪れたのは、やはり同性が好きなのだという気持ちを確信に変える事実だけが重なっていくだけだった。そんな揺らぎを経て、朧げな感情が確信に変わるのには10年以上の歳月がかかった。


それからはそもそも大多数と同じ道を辿れるとすら思い描かないようになった。横断歩道の白線だけを踏んでゆくゲームにすら、もう参加できないのだと自分で気が付いていたから。


でも、貴方はおそらくその気持ち、つまり同性に対しても恋愛感情を抱くかどうか、それを確かめて考えてもらう時間が必要だ。ただ、もうすでに大人になってしまった私たちにはそんな十分な時間すら与えられていなかった。だから貴方に今すぐ答えをもらえないことも分かっていた。なのだけれど、その時だけはどうしても答えが欲しいと我儘に思ってしまったのを覚えている。

貴方は横断歩道の白線だけを着実に歩いて渡る。私は、白線も黒い部分も気にせず歩く。もはや白線と黒い部分が視界の端で混ざってグレーに見える。白黒はっきりではない、グレー。


ふと夜空を見上げると、空気が澄み切っていてビルの合間から輝く月が見えた。やけに月がとても綺麗な夜だった。「月が綺麗ですね」と同じ意味を込めた私の言葉は、もう夜風に溶けていた。


フィクションのようだけれど、本当にあった私の話。

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