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「贈り物」に込めたのは

久しぶりの投稿は、自分で書いたエッセイを載せてみようかと。ライティングの勉強をしていた「SHElikes(シーライクス)」の課題で書いたものです。

自分の思いや感情をのせた文章を書きたい。気持ちを直接伝えるのが苦手だからこそ、ずっとそう思っていました。ライティングの勉強を始めて、しばらくしてから出会ったエッセイのレッスン。これだけは、ちゃんと形にして卒業しよう。そう決意して書き上げた課題でもあります。

講師の先生からフィードバックをいただいて、直しながら読み返したときに「恥ずかしいけど、読んでもらいたい」そんな気持ちになりました。恥ずかしいけど、上手ではないかもしれないけど、リライトしたものを載せてみます。

シーライクスの受講生の方の参考に、読んでくださった方には少しでもほっこりしてもらえたらうれしいです。

さいごに、フィードバックをくださった講師の先生へ。丁寧で温かいメッセージと添削を本当にありがとうございます。noteに載せる勇気になりました。この場を借りて、お礼申し上げます。

それでは、ぜひお読みください。


小さい頃から、恥ずかしがり屋で照れ屋だった私。ありがとうや大好きといった言葉こそ声に出すのが苦手で、恥ずかしすぎて目も合わせられなくなってしまう。素直に喜んだり、笑顔でありがとうと言えたらいいのに、喉の奥が詰まる感じが今でもときどきある。そんなシャイで不器用な私も、一生懸命大好きな人にアピールしていたのことがあった。

新居へ引っ越して1ヶ月半ほど経ったある日、私と夫は“クローゼット兼まだまだ片付かない荷物たちの部屋”と化している一室で荷物の整理をしていた。ダンボールを広げていると夫の荷物の中から“あるもの”が出てきた。それは、ぱっと見ただけでも思い出の品だとわかるほどに色褪せた朱色のような柄に、白のくり抜きでビードロと文字が入った箱。

ビードロといえば、高校時代に修学旅行で行った長崎を思い出す。小柄で色とりどりのガラスたちがとても印象に残った。でも「なんでビードロなんて持ってるんだろう?」と不思議に思った私は、自然と夫にその疑問を投げかけていた。「わかんない。誰からもらったんだろうね」と片付けを進める手を止めて目を合わせながらも、あっさりとした口調で返事が返ってくる。私は、“本当は覚えているけど言いたくない人”からもらったものなのだろうと察して「ふーん」と返した。

いつもなら興味も持たずそのままスルーしていただろう。でも、なぜかそのビードロが頭に引っかかって無意識に箱を開けていたのだ。やっぱりそうだ。透き通った鮮やかなブルーのビードロに自分で書いたであろう同じブルーが特徴のキャラクターの顔。確信はなかったが見覚えがある。「これ、見たことある!」と私は言った。すると「よく覚えてたね!高校生の時に修学旅行のお土産でくれたんだよ。大事だからとっておいてるの!」と、夫は少し驚きながらも頬を緩ませ嬉しそうに教えてくれた。

高校時代、同じ部活の先輩後輩だった夫と私は、彼氏彼女になったり、お友だちになったり。関係性が変わっても、部活のことや学校のことなんかを話しながら、彼が卒業するまでよく一緒の電車に乗って登校していた。当時からバレンタインにチョコレートをあげたり、お返しをもらったり、お手紙やマフラーを交換しあったり、何か行事がある度に理由をつけて贈り物をしていた。ビードロもそのひとつだった。

今思えば不思議な関係性だったけれど、彼といるのは居心地がよくて「これからも一緒にいたい」と心のどこかで思っていた。だからこそ、はっきりと言葉で伝えることをしないようにしていたが、お互いの気持ちを言葉にする代わりに、贈り物を通して相手に思いを届けようとしていたのかもしれない。自分にとってあなたは特別だよと一生懸命伝えるために、同じ気持ちだよと伝えるために。不器用でシャイな私たちにとって最大限の愛情表現が、何かを贈ることだったのだと12年ぶりに再会したお土産のビードロのおかげで気がついたのだった。

不覚にも、当時は気持ちが伝わっているのか伝わっていないのかよくわかっていなかったけれど、ビードロを見つめながら「私はずっと彼のことが心から大好きだったんだなぁ」と再認識するとともに、照れ臭さからクスッと笑いが込み上げた。そして、彼もまた私のことをずっと想ってくれていたことを知り、胸がぎゅっと締めつけられた。高校時代の片想いがようやく実ったような甘酸っぱく幸せな気持ちに包み込まれたのだった。

結婚した今も、照れ屋でときどき素直になれない私は変わっていない。さみしい気持ちを上手く言葉で伝えられなくて、仕事で帰りが遅い夫にそっけない態度をしてしまったり、休日一緒に過ごしているのに突然昼寝をしはじめる姿に、疲れがたまっているとわかっていながらも機嫌を損ねてしまったり。本当は「いつもお疲れ様、家族のために頑張ってくれてありがとう」って思っているのに。素直になれない自分と心の中で葛藤した挙句、あるとき「一人で散歩してくる!」と言い放ち、悲しい顔をする夫を置いて強引に一人で出かけたことがあった。

結婚を機に夫の転勤先に引っ越すことを決めた私は、慣れない土地での生活や知人も友人もいない環境に気持ちが落ち着くまで少し時間がかかった。そんな私を夫はいつも気にかけてくれていた。ちょっと元気がない日が続くと「毎日夜ごはん作ってくれてありがとう!最近飲んでなくない?と思って!」と、誇らしそうな笑顔でご褒美ビールを買ってきてくれて、「たまには気分転換にお散歩しに行こう!」と帰宅後に私の好きなことに付き合ってくれて。

昔のような可愛い贈り物ではないけれど、私たちが贈り物に込める意味は変わっていないのかもしれない。「さみしい気持ちにさせてごめんね」「いつもありがとう」夫からのささやかなプレゼントを思い返すたびに優しくて温かい愛情が伝わってくる気がした。遠回りでも日常のさりげない行動にいつも心がホッと癒される。そんな夫を悲しませてしまったことを反省し、いつものお散歩コースまで迎えにきてくれた夫と二人でまた家に帰ったのだった。その翌日は、気合を入れてお弁当を作った。昨日はごめん、いつもありがとうと愛情を込めて。

今日はめずらしく「仕事行きたくない」と弱音をこぼしながら、遅刻ギリギリなのに焦る様子もなくのんびり支度をして家を出た夫。玄関で見送る華奢でちょっと丸まった背中は、抱きしめたくなるほど愛おしい。金曜日の夜は、夫の大好きなジュースを買ってお出迎えしてあげよう。冷蔵庫から見つけたときのまん丸な目で驚き少年みたいに喜ぶ顔と、仕事終わりのビールのように幸せを噛み締めながらジュースを飲む姿が大好きだから。私は今日も贈り物を用意する。


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