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3ヶ月の恋。@new york

今から20年以上も前。
その頃私はヒップホップやレゲエ好きで
終末になるとクラブへ通っていた。
当時、横浜に住んでいた。
男友達の友達がニューヨークにいるって事で、
一緒に行こう
って話しをしたとたん、もういてもたってもいられず、
男友達がお金を貯めるのも待たずに
1ヶ月後には一人ニューヨークに旅立った。

3ヶ月観光ビザで余裕で生活できるだけのお金と、
調べつくしたありったけの情報と、男友達から聞いたニューヨークにいる友達の連絡先を持っていった。当時今のようなスマホもないからパソコンで、
確かパソコンだって今みたいに普及してなかったよーな。情報を探しが得意な私は、
まずはN.Yに住んでいる日本人コミュニティのサイトを探しだしたの。
N.Yのことは全くわからないから
まずは情報を探した。
男友達の友達に頼ればいーのに、その人、R君と呼ぼう。R君は彼女と住んでるし、頼っていいのかよくわからないし、、ってことで頼るのをやめたのだ。
ま、結局最終的には関係を持ち、私が帰国しR君も帰国した後たまたま近所になり、更に濃い関係になったんだけどね。R君はある業界ではなかなかの有名人になっているようですがw。NYでも日本でもよくお世話してくれて(下だけの関係じゃないぞw)本当に良い奴だったなー。
その話しは割愛します。笑

話しそれましたが、まずは家探しだ。
ルームメイト募集を見て、
良さそうな物件に連絡。
何通かメールだけし、はい、決定。
私って、直感的にこの人大丈夫、大丈夫じゃないってわかるんだよね。嘘ついてるとか、だから色々人の情報読めてしまうのよ。そのせいで大変なこともあったけど、
直感的に大丈夫って思った人で嫌な目にあったことはないんだよね。
簡単にしかも男の人、家決めて、
じゃいきまーす。
空港にむかえにきてねー。って。
で、まぁ、その人と無事会うことができ、
無事ルームメイトとして住むことになったのだ。
こんな簡単でノリノリなテンションでいったものの、はじめの1ヶ月は、、英語もわからない、
地下鉄も勇気いる、、外に出るの怖かったんだよね。
ルームメイトは仕事だし、結構スパルタで、
仕事行ってて、私は家に一人。急に日本語話せない外人の友達を家に来させて
その人とデートしてこいって。
本気で嫌って思ったけど、でもこのおかげで恐怖克服できたし、一人ででも地下鉄乗れるようになれたし、
英語にも慣れた。
up to you +〜〜
これだけは絶対に忘れない。
何かわからなくなったら、これ使えってw
何度も助かったw
知らない人には使えないけど、ルームメイトの友達には使えたし。後に恋した彼にも使ったw
と、まぁ、色々ありの1ヶ月。
他の地区にも住んでみたくなり、次に行ったのはブルックリン。あまり選ばないだろーって感じなんだけど、
そこに日本人の女の子が住んでいて。なんだか気が合いそうだったからそっちに引っ越した。
はじめましてーからすぐ仲良くなった!
彼女にも英会話を特訓してもらい、ショッピング、お出かけ、色々なことを教えてもらった。
もーニューヨーク最高!!
なんて思っていたら
近所に住む Nと出会うことになった。
その時私の髪型はブレイズ。ブレイズを横で二つに結び 、ファッションは、ブルックリンにはいない、日本で当時流行ってそうな感じの服をきていた。
だからアジア人は私達だけだったこともありかなり目立っていた。
私が一人地下鉄に乗ろうとした時
Nが声をかけてきた。
どこいくの?
日本人?
ミステリアスで美しいね。
とても興味あるから色々話しをしたい。
そんなような事言って。
私はナンパされ断ることには慣れていたけど、
Nは違った。
まずは見た目もタイプだったし、
目も雰囲気も本当に優しい人だったから
一瞬で私は恋に落ちた。
かたことの、ほとんど話せない英語を
ゆっくりで良いよ。
気にしないで。大丈夫。
って聞いてくれた。
はじめは、日本人に慣れているのかな
って思ったけど、
よくよく考えたら、
海外の人ってみんな話しを聞いてくれるよなー。
日本人にはないスタイルかも。
Nは日本人に慣れていなくて、
はじめて話したんだって。テレビ局関係の仕事をしていて、よく日本のテレビも流れていて日本人にとても興味を持っていたの。
ちょうどその時、確か、
サカキバラ事件があったとき。かな。
サカキバラ事件のあとだったかな、
忘れたけど、その事件が印象深くて
日本人はちょっと危険な人種だなって思っていたみたい。
その3ヶ月後にら9.11が起こって、アメリカクレージーって思ったけどね。
Nとはデートを何回もした。
マンハッタンのすみからすみを。
ブルックリンの海岸を。
彼のおうちに、私のおうち。
クラブに、お友達のホームパーティーに。
毎日が楽しかった。
そんなある日、ピタって連絡がこなくなった。
毎日会えない日は一度は電話がくる。
もうない。
私も一人で彼のおうちまで行けないし、友達の家も連絡先もわからない。
あー、もう飽きられたんだな。私、英語できないし、
つまらなくなったんだ。
って.泣きまくってた。急にどーしてって。
ルームメイトも一緒に悲しんでくれ、慰めてくれて、
私にいつも巨大なアイスパフェを作ってくれた。
大麻も吸って、
はーい!パーティーのはじまりですよー。
って、二人で笑って食べまくった。
そんなある日が一週間続き、マンハッタンへ買い物に行こうって一人で行った。
タイムズスクエアで降りて、階段あがって外に出たら
インド人観光客がたくさんいた。
なぜか私は人気者になってしまい、写真を撮っててお願いされ観光客に囲まれていた。
ブレイズの日本人がよほど珍しいみたい。
パシャパシャと何人のインド人と写真撮っていたら、遠くからまんべんの笑顔で見物している
な!な!な!なーんと
Nではないですか!!!!

続く⭐︎







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