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71/ピアノレッスンで思い出した母のこと

今、ピアノでレッスンしているのはチャイコフスキーの「舟歌」

今の教室に通い始めてこの7月で3年。
チャイコフスキーも短調の曲も初めての取り組み。
譜読み、微妙な和音、音の広さと指つかい…
ちょっと難しい。
力のなさを感じる今日この頃。

「選曲失敗しちゃったかな?」
と思いつつも、
ここでやめたらこれからも自分が弾き易い曲を選んでしまうし、
「できなかったら次〜!」になってしまうような感じで。
「もうちょっと頑張ってみよう。」と思い、なんとかカタチになってきた。

レッスンに行って先生の前に座ると、すぐに緊張しちゃう。
家では「うまく出来た!」と思っても、レッスンに行くと思ったようじゃなくて、消化不良な感じ。

先週もできないところがあって、
「もっとゆっくりでいいんですよ。」
と言われる。
私、「速く弾かないと!」って
いつも焦っている感じ。

☆☆☆

「はやくしなさい。」

母の口癖でした。
着替え
学校の準備
出かける準備
その他諸々

ボーッとしていたわけではないのですが、
「よく見えていなかったのではやくしたくてもできなかった。」
のかもしれません。
物事に集中できなくて、他のことに気がいっていたのかもしれません。

☆☆☆

小学校に入学して学年が上がるにつれて、「はやくする」ことは家以外でも求められるようになりました。
というか、はやくしないとクラスのみんなから置いていかれるのです。

算数の三角定規や分度器の使い方
図工の作品を作る
黒板を写す
体育の着替え
教室の移動
家庭科(当時)の授業の裁縫

もうあげたらキリがないくらい。
ついていくのが大変でした。

みんなと同じにできないと母は、
「ぐずぐずしているからだ。」 というのです
そんなつもりはこれっぽっちもないのに。

そんな毎日を送っていると、知らず知らずのうちに
「とりあえず辻褄を合わせる」
という技を身につけます。

生徒が多くて先生も一人一人チェックしてないから、漢字はとりあえず見た目が合ってたらいいか? 
できてないのにやったふり、できたふり。
まずは
「はやくやってみんなと同じに終わらせる」

☆☆☆

母は一生懸命だったんだと思います。
多分。

母は何も言いませんが、
私の眼が悪かったことも
「自分のせい」って思ってたみたいです。
「母のせい」なんて、そんなことはわからないんだけど。
でも、そう感じてしまっていたから、他の子と同じになるように
一生懸命だったんだと思います。
「遅れちゃいけない」って。

☆☆☆

「ゆっくり弾いて。」
と先生に言われて、自分がなぜ慌てているのか考えていたら、子供の頃を思い出しました。

母のことを思うとちょっと切なくなりますが、今は私に構うこともなく、思ったように生きている85歳の健康な老婆になりました。

昔のことなんて忘れてるかしら?
忘れているぐらいでちょうど良い。
元気で長生きしてほしいです。

ヘッダーの画像、お借りしました。
ねこちゃんがかわいい❤️
naykopanさんありがとうございます♪


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