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置いてかないで、連れてって

なぜ惹かれるのか分からないけれど、とにかく写真が好きだ。好きな理由について、たまに悶々と考えている。

私は映画もそれなりに好きで、気に入った映画は何回でも見る。写真が父とすれば、映画は息子だと言うルイジギッリの話に、私は結構納得していて、そう考えると全ての事象がうまくまとまるような気がしている。(彼は生まれた順番に沿って言えばの話であって、決して優劣のことを指しているわけではない。)

そもそも最初にビジュアルの職に憧れたのは、映画の特典で付いてくるメイキングムービーの裏方の人たちの動きを見てからだった。演者が走り、それをカメラが追って、カメラはスムーズに動けるように台車にのって、台車を押す男性のスタッフが何人もいて、と、映らない人々の多さに驚いた。そのメイキングムービーで演者がカメラに向かって話している後ろで、女性が延長コードを手でくるくる手繰り寄せているのが見えて、私はそれが、とてもカッコ良く見えた。

24歳の頃、私はあの女性のように、延長コードを手でくるくる手繰り寄せていた。写真撮影スタジオに就職し、スタジオマンとして働き始めたからだった。とても嬉しかった。

ただ、写真と映像の撮影現場は全く空気が違うことを肌で感じた。私はほとんど映像撮影の現場に入ったことがないが、だからこそ、違うなと露骨に思ったのかもしれないけれど。例えば雑誌の写真撮影は、撮影中も全ての役割の人がバラバラに動く。けれど映像は、撮影中において、現場にいる全ての人々が音を立てずに、一斉に一つのシーンのために撮影に取り組む。

これは仕上がり後も同じことが行われる。写真は一人一人好きにみるが、映画は一斉に一緒に見る。写真と映画の最大の違いだと私は思っている。写真展に行けば、好きなペースでみるけれど、映画はみんなで一緒に見て、一人一人のペースなどない。映画に呑まれる。

写真は徹底した個人主義が貫かれているように私は感じる。少し距離があって、温度が低く冷たい印象を受ける。それは写真自体が止まっていることにも関係する。映像はとにかくエネルギーや熱を感じる。人を引き込む力が写真よりも大きい。動いていく世界に私がついて行く、自分の体と心を無理矢理に映画に寄せていく気がする。

写真は私の心を置いて行くが、映像は私の心を連れて行く。

写真が父で、映画が息子だと言うルイジギッリの話、女の私からして、とても腑に落ちる。

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