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#カラーネガ

写ってしまう

「何も初めから決めてかかることはないんじゃない?」と、以前私の写真を見てくださった方に言われた。それは、「自分の生まれた環境を撮影することで自分自身の追求になるから、この撮影は今後もライフワークにしていきたい。人生通してやりたい。」と話したことからだった。 その時私は「確かにそうかもしれない。」とその意見を聞きつつも、今も続けている。 人って変わるのだろうか、環境が変わっていくのだろうか、私って昔と今は違うのだろうか、街の変化ってなんなんだろうか。変わらないものが見たい。

オーバーラップ

人の家の子供が遊ぶ車。2台並んで可愛かったので撮った。しかしながら玄関がごちゃついていたので、ピントは外した。 ウィリアムエグルストンの写真集の表紙になっている、緑の三輪車を思い出しながら撮影した。william eggleston's guideってやつ。ほとんど似てないんだけど、「あ、これは」と頭に浮かんできたのは、あの写真だった。 これも撮影しながら、エグルストンの同じ写真を思い出していた。緑色が繋がる。ちなみにこっちの台車の写真の方が、先に撮った。 後からこうし

2014 / 08 / 09の日記から

『夏がどんどん過ぎていく気がします。 最近のマイブームはヨソはヨソ、ウチはウチ。みんな持ってるから欲しいと言うと、母に言われたあの言葉。今すごく気に入ってる。』 ということを、4年前の今頃の私は書いております。 2011年から書いてるbloggerでのブログも、暇なときに読んでみてな。 mao nakazawa → blogger snsはいろんなものに手を出して、twitterに関しては10回くらいやめたり始めたりしていて、ブログもいろんなものに手を出してきたけど

意識

ワーキングホリデーの話を聞いていたら、なんだか海外へ行ってみようかしら?という気になった。海外への憧れは昔からあって、学生時代は観光で行ったりしたこともあるけれど、せいぜい一週間くらいなもの。日本以外の国にもう少し長く滞在する時間が、人生の中にあってもいいのかもしれない。 私が海外へ行く目的は、写真を撮ったり見たりすること。他の国は写真に対して、どういう感じなんだろう、そこから見える日本はどういう感じなんだろう。そこで見る景色や触れる空気、カラープリントの色はどんな感じなん

継続の工夫

写真を始めた時に、まず誰かと同じことはしたくないと心に決めた。そうなるとつまり、誰も考えたことのない突拍子もないアイディアを考えるか、たくさんの作品を見て知識の蓄積や研究を繰り返し続けなければならないのでは、と思った。しかし、私は要領があまり良くないので、それをしながら自分自身の作品を作ることは無理だな、と。 それをせずにオリジナリティを突き詰めようとした時、自分自身のルーツや今いる環境を撮影することが一番の近道では?と思い当たり、手当たり次第スナップやら記録をする手法を選

光で書く人

フォトグラフィアは、ギリシア語のフォース「光」という言葉からきている。ルイジギッリの写真講義という本に「『fotografa(写真)』という言葉は光によって書くという意味であることを心に留めて置きましょう」、という解説にこれまでのどんなものよりも、腑に落ちた。以前もnoteで書いたけれど、何度も書くほど重要な事項だと思う。 それを心に留めて写真を撮ると、まるで初めて世界を見たようなイメージに見えてくる。 文字や言葉と同じくらいの可能性が写真にはある、という私の根拠の一つは

文化人類学

アメリカのニューカラーなどに憧れを持っている。コカコーラの看板、だだっ広い土地、モーテルのネオンサイン、ダイナーで食事を楽しむ人々。 単純にカラー写真が好きだということと、アメリカのそういう色が好きで、なんと言ったらいいか分からないので、「アメリカっぽいニューカラーが好き」と言うことにしている。しかしながらアメリカのようなニューカラー写真を取りたいと思っても、そこいらでは難易度が高い。 日本は国土が狭く、特に東京はぎゅうぎゅう詰めで、小さな四角の画面の中に大量の情報が入り

夜の隙間

仕事は思ったより進まず、予定よりも遅くまでかかってしまった。自分の手際の悪さにイライラ。 職場から真っ直ぐに家に帰る気分じゃなかった。この日私は、どうにもこうにも虫の居所が悪くて、一人は嫌なんだけど、あんまり喋りたい気分じゃなくて、でもまだ家に帰りたくない、そうしてフラフラここに来るのだった。ご機嫌ナナメでアイスドリップを飲む。友人から来たlineも素っ気なく返してしまった。ごめんなさい。カウンターに座って、いつも何のためにもならない話をベラベラとご機嫌に喋っているのだけれ

のらりくらり

自分自身が、何かと好もしい、今日この頃。(この、好もしい、という言葉は、田辺聖子さんの小説に出て来てからというもの、気に入ってよく、使っている。) 私は何をやるにも、人より少し劣っている、と思っている。だから、これまでの私なんて、人に求めてばっかりで、自分で間に合わせようとしていなかったのかも。 なんてったって、不器用だから、不器用なまま人に体当たりするのだ。それは、とてつもなく、途方もなく、体力を消耗し、相手側のエネルギーをも、食い尽くす。 私を見兼ねた上司がひとこと

桜に感じるグロテスク

植物の、重力に逆らって生きる力は素晴らしい。以前もnoteに書いたけれど、彼らは常に上に向かって行く。 美しいとは思うのだが、桜の木は、少しグロテスクに私には見えてしまう。 桜の淡いピンク色に対して、木の枝がとても黒く濃く見える。何本にも分かれて空に伸びていくそれは、まるで人の血管のようだといつも思う。 地面に根を張っていくのと同時に、上にも根を張っていく。どちらか一方だけ頑張るのではなく、どちらも同時に頑張らないと、枯れてしまう。桜は綺麗に咲くことが出来ない。 だか

いつもと少し違うこと

今年の1月は大雪が降った。ハンターで買った長靴が大活躍で、調子に乗って凍った道路を歩いたりして、でもカメラバッグを背負っていたので、案の定すっ転んだ上に、膝をガクガクさせ、まるで生まれたての子鹿みたいな立ち方をして、前を歩いていた女子高生3人組にクスクス笑われた思い出。笑ってくれて、むしろありがとう。お姉さん、頑張って生きる。 さて雪がどっさり降った夜、街は白くて明るかった。冬なんかはいつもすぐに暗くなってしまうが、夜になればなる程積もる雪と同じだけ、街は明るくなっていった

TOKYO littele sisters

展示が終わったその日は、バタリと倒れそうになったが、それをぐっとこらえ、仕上げていなかった確定申告を終えてからベッドに横になった。 夏に海で遊んだ友人が展示に来てくれた。彼女から展示のお祝いに、スミレ色の綺麗なネイルをもらった。この色の名前は「littele sister」と言うらしい。展示の帰りに一杯付き合ってもらって、元カレの話をウンウンと、まるで姉のように聞いてもらう。 ロシアの友人、アニャが来てくれた。まだ24歳の彼女は、私と6つ違い、私の実の姉との年齢差と一緒。