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見た目が怖い人間とは 関わりたくない。

見た目が怖い人間とは
関わりたくないよな。

見た目が怖い人間と 関わることをやめない人間とも
関わりたくないよな。

男性本能的に、相手に支配されるよりも
支配する方でありたい、と願ってしまう。

それは空っぽで、愛が通っていない願いみたいで
本当は持ちたくない。

だから自分も極力、怖さを与えない人間であろうとする。

しかし、エニアグラムタイプ8のように

戦に参加して勝利するその快感を求めるような

ネット言葉(若者言葉 どっちだったっけ)でいうイキリのような部分も

完全にない訳ではない。

男性的本能はあるもので、あるものをないように振る舞うのは

自分に嘘をつくことになる。

無論、本能だけで生きていくことはできない。

自分は正しい、と信じてやまないその気持ちが、

悪循環から抜け出す上で障壁になることもある。

理想が高い人間は、

わがまま である。

それなりの現状でも、問題ない、とできるポジティブさも

大事だと思う。

実際、私は理想を高く持ち過ぎない。

だから自分以上に、理想を高く持ちたい人間を見ると

ストレスを感じる。

まあ、世の中、理想を高く持ちたいタイプもいるだろうから、

それはそれでいいんだけれどね。

理想が高い人間は、高すぎる理想を求めない人間からすれば

テイカー(奪う)人間に見えるんだよね。

同じ空気も吸いたくなくても、

顔を作って、会話をすることも 世の中のどこかでは 怒っているのかもしれない。

顔 怖い人間は それだけで 人の心から 調和を 壊すから

極力 関わりたくないなー、と思う。

しかし、怖そうなテイストのボカロ曲とか

スラムダンクとか ワンピースとか 幽☆遊☆白書を読んだりはするけれど。

あれはね。作者と 距離がとてもあるからこそ

気兼ねない読めるんだよね。

例えば友人が、そういう志向で漫画 描いていたら

奪われる感覚がいやで、関係を遠くしたい と思うのである。

風の時代で、地の時代とは 色々変化していくけれど

優秀な人間は、いつも 多くの人間から 奪って 富を得てきたように思う。

買い手と売り手 という 立場のやりとりでも

スラムダンクもワンピースも 幽☆遊☆白書も

邪気を感じるし(なのに読むけれど)

どうして そういう精神性の低さも持った作品が

大ヒットするんですかね❓と疑問に思いながら

そういう時代だったから仕方ないな、として

そういう世界の歪み に適応する意味でも

読み進めていた。

まあ、もともと顔 怖い人もいるだろうし、

最初からそれで否定するのもよくないけれど。

まあ、エニアグラムでいう ガッツセンター タイプ8 タイプ9 タイプ1

は、顔がいい意味で恐い と思う。

あまり関わりたくないけれど、そういう顔の人も いてもいい

と寛大になるのが、精神性の高い考えだしな。

だけれど、極力 関わらない、と予め 決めておいているけれど。

だから、顔 恐い 人間と 関わっている人間とも

極力 関わらない方が賢明である。

奪う者 を支援する人間も また関わらない方がいいのである。

(と言いながら、ワンピース、幽☆遊☆白書、スラムダンクを読んで

時間も奪われた、作者の思想を鼓吹されたのだけれど)

どうして 距離が遠いと 気楽に 時間を共にできるのか。

私はそういうタイプで、

距離が近い方が 気楽に時間を共にできるタイプとは逆だ。

なので、距離が遠い関係を 大量に持っている方が

自分っぽい と合点がいく。

相手が、距離が近い方が 気楽に時間を共にできるタイプのように

見えた時は、

関わるのが ストレスだなー と感じとる。

これまで、距離が近い方が 気楽に時間を共にできるタイプが多い環境に

いたときは、

合わねえな、と思っていた。

やはり、人材が活きるかは、環境による。と思った。

わたしには、距離が遠い方が 気楽に時間を共にできるタイプの気持ちが

よくわかる。

このタイプは、いい意味で極力 相手と距離を縮めないように

気をつけた方が、人生が楽しくなる。

世間は 友情を神格化するけれど 冷静になって 自分に合う方を考える。

でも、友情の神格化が鼓吹されたり 刷り込まれたのは

変わらないから、

マインドコントロールから抜け出した感覚が欲しくて

自分を脅かすような人間が取りそうな行動を

自分もとってしまうこともある。

売れている人間はみな、奪う者 としての顔も持ち合わせている。

それでも応援したいミュージシャンなどもいるから、

自分の時間を、動画視聴して与えることもある。

本当は、自分の時間を、極力 他者に与えたくない。

それでも 生きる上では 他者との関わり が課題になる。

最低限の関わりでいい と後ろ向きに考えるよりも

やっていることは 変わらなくても 根付いた考え方を磨いて

人生を楽にする、方が ポジティブだ。

そうする自分の方が、自分は好きになれる。

まあ、こうやって、感情をコントロールし、冷静になり、

感情的になることをキャンセルするから

情熱的な人の情熱に敵わないこともある。

知識で知っているだけじゃなくて、

情熱(パッション)というものも関係する。

情熱的な あまり 周りに迷惑をかける人間はひどいけれど、

情熱的な あまり 感情的に なってしまった人間は

これまでの人類史上 何億人もいる。

いちいち、こちらも感情的になって

制裁を求めるのも 嫌なので、人類史上に照らして 見過ごすこともある。

自分は、情熱があれば、周りに少しなら迷惑をかけていい、と思わないため、

いつでも道徳に照らして、行動することを 取り入れたくなるような

表現・発信をしようとしている。


楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈