見出し画像

みんなが言う普通ってさ。




みんなが言う普通ってさ。

なんだかんだ言って 実際は多分、

なりたくない役割を指しているのではないか、と思う。


普通◯◯だよね〜。

の◯◯は、自分がなりたくなり役割を指しているんじゃないのか、

と思っている。

逆に、普通◯◯と会話で使い、その普通になろうとすることは、

素の自己肯定感が低い人なんじゃないのかな。

私はいい意味で自己肯定感が高い状態を保ちたいため、

普通になりたがるような人にはなりたくない、と言う。

普通になりたがるって、本来、自己肯定感がそれなりに高い私からすれば、

自己肯定感が低い行動に思う。

普通になりたがる、という行動自体が、

自分は普通以下、だと自分で決めてしまっているように思う。

自分は普通以下、というスパイラルに入っている人は救いたいよな。

出来ること、出来ないこと、得意、不得意、を整理して行って、

やはり普通以下だったとしても、

そういうスパイラルに入らない術を全ての人が手にできたらなあ、

と思う。

私自身も、自分は普通以下、だと思う気持ちが変えられなかった時期もある。

しかし、今は自分は普通以上だと思うことができ

(それをバイアスだとか問い詰めてくる人間もいるだろうけれど、

気にしない。あまりにも空気読めない人とは極力関わりたくない、

という自己基準を決めている)、

日常会話では、比べないです、とか言えるようになっている。

比較ばかりしていた私から遂に、比べないです、と言える日が来ている。

私のことを理解できない存在を仮に悪だとすれば、

その悪があるから、私にとっての善を言える、と思っている。

比較をしない、という主張を、深掘りしようとする人間がいるから、

対応さえしっかりしていれば、私は善人でいられるのである。

例えると、ゴシップ誌を見て、有名人や著名人、芸能人の裏の話、黒い話を、

して言いたい放題言うような行動は、私の中では、悪い行動のように思う。

適切な批判は、必要な時もあるけれど、

ゴシップ誌に書いている裏の話、黒い話で盛り上がるのが

善い、行動と考えることはできない。

まあ、正論を振りかざすことはしない。

相手を変えたいわけじゃない。

悪人を問い詰めたいわけでもない。

正論ばかりいう人は、人間をわかっていない、個人的にはそう思う。

正論ばかり言う人がいい意味で嫌われるのは、

人間をわかっていないからかもしれない。

そういう私も、正論ばかり追っていた時期もある。

逆に今と違って、普段関わる人の悪い部分を

心にある虫眼鏡で拡大して見て、

問い詰めるようなことをしたこともあるし、

相手を変えようと必死になったこともあるし、

いい意味で今と逆の考え方を持っていた。

今の私の考え方の方が優れていると思う。

自分もそうだよ、と言われてばかりだと、

食傷のような反応で、うざい、とか思うかもしれないけれど、

経験たっぷりな大人になって、迷っている人、悩んでいる人、

困っている人に対して、

自分もそういうところがあった、と伝えることは

何度あってもいいことだと思う。

私は結構わからずや、な時期もあったから、

逆に別の家の子だったらもっと手がかからなかったかもしれない。

子供側の私は個人的にそう思う。

まあ、私は優秀な人であるから、

親を困らせた分は既に帳消しになっていると思う。

私はここ2、3年で結構成長した。

3年前はここまで成長できるなんて考えもしなかったよ。

毎日、必死に、心も体も震わせて生きているのに、

社会性も身についていない状態だったし、

就職もまだできていなかったし。

上から目線なところも当時はまだあったし。

精神年齢というのは、瞑想の果てに上がるものじゃなく、

社会人基礎力を上げることで、

精神年齢28歳くらいになれるものだと思う。

逆に、30代になっても、40代になっても、

社会人基礎力がそれなりにあるなら、

精神年齢28歳でもいいんじゃないか、と思う。

あと、どれだけ自分の心を削られずに生きるか、ということも

基礎固めすると後で楽できる。

あと、人間関係の問題はの5%の人を切れば解決するという話もあり。

思い切って5%の人を見つけ、切ってみると、

人間関係の問題・悩みは解決する(自分の人生で確認済み)。

考えすぎなくせがあり、あれ、じゃ、5%の人を切っても、

(95%の中から)また誰かが5%の人になるんじゃない❓

というところも考えついた。

個人的に考えついたのは、5%の人を切っていく中で、

あえて、ある程度こちらに都合の良い

憎しみの対象になってくれる人を、

最終的に残す、みたいな考え方を持つことにしている。

本気で憎むまでは行かないことに加え、

いい意味で愛せるところもあるような人が、

5%の人になるようにしている。

まあ最近は、全ての人を、本気で憎まないようにする気持ちを

持ち続けているし、

愛せるところも見つけるようにしている。


大うつけ者としてのパラレル(仮想世界線)は

いい意味で忘れることができていて

(日々、いい意味でイメージを強めない、固めない、

ように取り組み続けている)、

いい意味で(それなりに)賢人としてのパラレル(仮想世界線)に、

繋がれるように、

日々、イメージを強め、固めている。

誰かの参考になればいいのだけれど。

私の血の中にも、マス(集団)を救うよりも、

ひとりの心に強く届けばいいな、と思う気持ちが入っている。

楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈