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スーパーグレート一般ピーポー

私は歌が下手だ
それでも最後まで聴いてやるよ、
って人だけ最後まで聴いてくれよな。

私はスーパーグレート一般ピーポー。
伝えたい内容に適した言葉がないから、
造語を増やす。
言葉の発明品。
スーパーグレート一般ピーポー。
合理的に言葉を選んで、
飾りはせず、
惑わせもせず、
合理的に言葉を選ぶだけ。

スーパーグレート一般ピーポー。
一部の突出した才能人とは
生まれた時から大きな開きがある。
でも努力をやめずに続けている。
一般ピーポーでも努力をすることで
輝く存在になれるからな。
努力もせずに陰るだけの人生は嫌だ。
自分のポテンシャルはいい意味でも悪い意味でも
認め、受け入れて、
努力をやめずに続けていく。
それが私が伝えたい、
スーパーグレート一般ピーポー。

伝えたい気持ちを伝えるのに適した言葉がないなら、
作ろう。言葉の発明品。
未来人から見たら遅れている現代を進めるために
いつの時代も詩人は言葉の発明品を作り続けてきた。
私たちの創作性は、汎用性の高いスマートフォンに侵食され、
今では、時代を進めるために
言葉を発明するものは減っていたように見えている。
未来人から見たら、現代人は遅れている、
という意識が、現代人には少ないように見えている。

優れた文章作家とは何か?
社会問題を解決する糸口を、文章で作るものではないか?
もちろん、その他にも、定義はあるだろうけれど、
長らく、YouTube投稿の息抜き、として
ダラ思考(だらだらした思考)で、文章を書くようになっていた。
YouTubeはメリハリ思考で、取り組む分、
noteはチル(一服)感を求めて書いていた。

私なら、いいチル感を作る作家よりも
社会問題を解決する糸口を文章で作る方を高評価する。
やはり、直球で人のためになることは、
いいチル感を作ることよりも、
社会問題を解決する糸口を作ること、
だと考えるようにしているのが私だ。

そういう自分は、社会問題を解決する糸口を作るような文章を書く意識を、
最近、持ってさえいないけれど。
いいチル感を狙って書いてはいるが。
本当は、社会問題を解決する糸口を文章で作った方が、
名が売れやすい、とは思っている。

社会問題を解決することに対する関心が現時点ではあまりないのが確かだ。
自分に社会問題を解決する自信がないからである。
しかし、それは努力することから逃げているとも言える。
本当は、努力すれば社会問題を解決する糸口を
作ることはできるかもしれないし、
それでもっと感謝される人間になったり、
ありえないくらい名が売れるかもしれない。

優れた文章作家とは、文章で、イノベーションを起こす人だ。
革新的な文章や概念提唱で、
人を合理的に助けたり、
時代を一歩前に進めるような書き方のことだ。
最近、その意識が少なくなっていた。
ダラ思考で書くようになっていた。
まあ、そもそも、年がら年中、社会問題と向き合うのは、疲れやすい。
だから、よほど、大義を刻んだ人じゃないと、楽に続かない。
大きな失敗や苦い思いをした人が、大きな大義を自然に刻めるんだと思う。
私は、大きな大義を自然に刻めるほど、大きな失敗や苦い思いをしていない。
もしくは、大きな失敗や苦い思いはあったが、
社会問題を解決し、英雄になりたい、
という大義に結びつけなかっただけかもしれないが。
まあ、とにかく、年がら年中、社会問題に向き合うのは、疲れやすい、と
私は考えている。
しかし、社会問題に向き合うなら、たまに向き合うのでは、効率的でもないし、
合理的でもない、と思う。
命を賭けてでも、解決したい社会問題、というのは私にはない。
しかし、時の英雄になるなら、社会問題と向き合うことは、
外せない、と思うに至った。

あと、民度の向上や啓蒙活動も大事。
学ぶ価値を知らないと、愚かな人間になってしまい、
そういった意味での愚かな人間は、
解決しなくてはならない問題を作り出す。
啓蒙活動の大事さの理解に至るまでの人でも
1日に解決できることは限りがある。
だから、世の中に問題が増えないことを、常時、達成していく。
(しかし、問題は起きるのが世の常であることも受け入れる)

あと、世界は私の性格じゃなくて、
私が作り出した働き、によって、
優秀か、そうでないか、を判断する。
性格がよくても、作り出した働きが悪ければ、
優秀じゃないと言える。

楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈