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卒展(東京選抜)に行ってきた感想と家族の距離感について

東京都美術館で開催中の芸工大の卒展に行ってきた。在学中は、東京選抜なんて関係無いと思っていたし、見に行くことも無いと思っていた。だって、文芸学科は選抜されないし。だから自分にとっては完全に縁の無い世界であるはずだった。

でも今年、妹の作品が選ばれた。まあ、妹としては色々複雑な心境ではあったようだけど、めでたいことだと思ったから友人を誘って見に行った。先日までの春の陽気が嘘みたいに寒くて、雨まで降って、それでもなお東京は人で溢れかえっていて、いろんな人と傘同士をぶつけたりぶつけられたりしながら会場へ向かった。

東京都美術館ではモネの企画展も開催中で、来館者のほとんどはそっちが目的らしかった。チケット売り場の長い列をスルーして卒展の会場に入った。作品が並ぶ展示スペースに入った瞬間、なんだか懐かしい気分になった。キャンバスに描かれた絵だけじゃなくて、布で作られた作品とか、彫刻とか、陶器とか、いろんな素材で作られた作品が同じ空間に並んでいる展示は大学以外ではあまり見かけない気がするし、そういう展示は大学の空気を思い起こさせる。自由で、眩しくて、少し苦しい。何にだってなれそうな、何者であっても許されそうな美大の自由な空気は、その中に「何者かにならなければいけない」という、喉元にナイフを突きつけられるような緊張感を内包している。創作をする限り、学生は何かを表現しなければならない。それが自分自身であれ、好きなものであれ、嫌いなものであれ、作ることからは逃れられない。美大はそういう場所だからだ。

妹の絵は綺麗だった。私には美術作品を褒める語彙が無いから言語化するのは難しいが、印象を簡潔に述べるなら、可愛くてしっちゃかめっちゃか。それ以上は、勝手に意味を押し付ける行為になりそうなのでやめておく。あのパステルカラーで埋め尽くされた画面の中にどんな感情を込められているのか、私にはわからないし。でも綺麗な作品だった。友人たちも妹の絵をたくさん褒めながら、真剣に見入っていた。

正直、妹や妹の作品に対してどんな言葉をかけるべきか、私にはまったくわからない。というのも、私たちが育ってきた家庭環境は少しだけ歪で、家族同士お互いがお互いの機嫌を損ねないように距離を取って気を遣いながら過ごしてきたところがあるからだ。普段から本音を言える空気ではないと言うか、常に家族の間に見えない薄い壁のようなものがあって、それによって常に隔てられているような感覚がある。だから妹のこともハッキリ言ってよく知らないままだし、何が好きで何が嫌いかもうっすらとしかわからない。壁越しに見えることだけ把握していて、それを乗り越えて踏み込むような真似はしてこなかったせいだ。だから直接会話して得る情報よりも、母を通じて間接的にもたらされる情報の方が多い。母に対してだけは、私も妹も壁を取っ払うことができるから。まあ、それもほんの一時的にだけども。

だからこそ、SNSは私にとって妹の心境を知り得る貴重なツールだ。見えない壁の中で生きている私たちには、そもそも会話のキャッチボールが難しい。相手に向かってボールを投げると言うより、相手の壁を越えられるよう慎重にボールを投げて、それからまた壁を越えて戻ってきたボールをうまくキャッチして、となると普通に投げるよりはるかに気を遣うし難易度も上がってしまう。そうなるとやっぱりお互いの壁越しに見える情報を読み取った方がラクなのだ。

でも、身内のSNSを見るのは良いことではないよなとも思う。私も妹も、本音をバカ正直に書きすぎるところがあるし(ここは本当に似ているなと思う)、読んでいて気分が良くないことだってある。それはお互い様で、私の投稿で妹が傷ついているのを見て申し訳なくなることだってある。そういうときにすぐ謝ればいいものを、ただ申し訳なく思うだけなのも良くないが。

とにかく、私から見た妹はとても真面目で素直でまっすぐな性格をしている。妹が描く絵にも、そういう素直さや純粋さが滲み出ているように見える。そういう風に見えているからこそ、世間の理不尽さや歪さに妹の心が折られてしまうのではないかと、私は少しだけ恐れている。真面目な人がまっすぐ生きられるほど、この世の中は優しくないのだし、姉として、せめて妹には優しくなれたらいいなと思う。


最後に、妹へ。まだちょっと早いけど、卒業おめでとう、就職もおめでとう。いつも不甲斐ない姉だけど、困った時も困ってない時も頼りにしてくれたら嬉しいな。姉ちゃんより。

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