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映画「Fight Club」を見ての感想

カメラがレールの上を走り回るジェットコースターのように脳内のシナプスを駆け巡り、そのままの勢いで毛穴から頭上へと飛び出して対峙している2人を映しだす。

映画というものは冒頭から抽象的な映像やモノローグを使って内容を示してくる。この「Fight Club」も例外でないばかりか、ハッキリと冒頭から明示してきた。

「脳内から始まった2人の物語」だと。

物語は主人公である「僕」の回想という形で始まる。

◇◇◇

いやー、「Fight Club」面白かったです。

この記事で昔イマジナリーフレンドが居たことを書いたのですが、HIROkuTSUgeru/文化アディックさんがこの映画を思い出したとコメントして下さいまして、今日の視聴につながりました。ありがとうございます。

感想

この映画はイマジナリーフレンドというより二重人格の主人公の話なのですが、主人公が別人格と会話する姿はイマジナリーフレンドとの会話を見ているようでもあり、感じ入るものがありました。

見ていて最初に感じたのは「鬱屈した思いを抱えているなら衝動に身を任せろ」というメッセージです。

主人公が別人格に導かれるまま「Fight Club」を創設し、殴り合う痛みの中で「生」を感じる描写など、生きづらさを感じている人へは強いメッセージとして届くだろうなと思いました。

しかしこの映画は中盤を過ぎてからどんどんとおかしな方向へと転がり出します。

衝動のままに動く別人格がテロ組織を作り、経済を破壊しようと金融関連のビルの爆破を計画し、実行しようと動きだしてしまいます。

これを止めようと奔走する主人公なのですが、最終的に別人格を統合することはできても爆破を阻止できません。

さらにはお互いに嫌っていたはずのヒロインと手を取り合って「これからはすべて良くなる、出会いのタイミングが悪かった」と言って別人格が大好きだったサブリミナルが入って終わります。

面白く見てたのですが、最後の最後で頭に「?」が一杯生まれました。きっと今月一杯は「?」に困りません。

ラストシーンの考察

素人ながらにラストシーンを少し考察してみます。

「痛み」は「生」を感じる手段

この映画で一貫して変わらない主張は、「痛み」が「生」を感じるのに必要なものだということです。

ラストシーンで主人公が別人格を統合するのにも、拳銃で自分の口の中を撃つという行為で「痛み」を感じています。口の中を拳銃で撃っても生きているのは生きるための「痛み」だと強調していると思います。

ヒロインと手を取り合った理由

最初は全然分からなかったんですが、冒頭のモノローグを聞き返していてハッとしました。

冒頭のモノローグには「人は愛する相手を傷つけ、傷つける相手を愛する」という台詞が入っています。

「生」を感じる「痛み」は肉体的なものばかりが描写されていると思っていたのですが、このモノローグを聞いてから考え直すと病気に苦しむ患者たちの会合など、精神的な「痛み」もあったんだなと思いました。

そして主人公とヒロインの関係はまさに精神的な「痛み」を与え合う関係だったんじゃないかと思います。そのために主人公は一貫してヒロインを嫌っていましたが、別人格は衝動のままに愛してみたり殺そうとしてみたりしていました。

人格が統合されたことで、「人は愛する相手を傷つけ、傷つける相手を愛する」をしていたことに気が付いたのかなと。また精神的な「痛み」を与えてくれるヒロインは、自分に必要な存在だと感じたのかなと考えてみました。

私が別人格を「倒した」ではなく「統合した」と言っている理由

主人公が自分の口の中を撃ったシーンで、別人格は後頭部が撃ち抜かれたような傷になっていて、そのまま倒れて消えていく描写があります。一見、主人公が倒したようにも見えます。

しかし爆破を止められなかったことを悔やんでいないこと、最後に別人格の大好きなサブリミナルが挿入されていることから、別人格に乗っ取られているようにも見えます。

どちらが正解なのでしょうか?

私はどちらも正解ではないと考えました。

主人公が自分を撃つときに「僕は目を開いている」と言ってます。別人格が体の主導権を奪えるのは主人公が寝ているとき、つまり「目を閉じている」ときです。

このセリフは体の主導権を与えないという意志と、目の前にいる別人格をしっかり見ている(自分自身のありのままを見る)という二重の意味がこもった台詞なのかなと思いました。

そして別人格が倒れて主人公1人になった後、別人格の手下たちがヒロインを殺すために連れてきますが、殺そうとはしていません。

これは物語終盤で別人格に命を狙われるヒロインを助けようと、街から逃がそうとした主人公の行動と一致します。

以上のことから2人の人格が統合されたと判断しました。

爆破を阻止できなくても後悔していない理由

これは別人格が自分の秘めてた衝動を実行する存在だったから、人格が統合されてその衝動を認識したから後悔してないのかなぁとボンヤリ思う程度です。

ですが、それまで必死に止めようとしていたからこそ違和感を拭えません。

これについてあなたはどう考えますか?

まとめ

ラストシーンについては素直に受け取れない部分もありましたが、この映画の感想を一言で言うと「面白かった」です。

ラストシーンの考察は素人の下手な考察でしたが、それもやってみると楽しかったです。きっと何度も見返すとさらに色々な発見ができるのではないかと思います。名作映画と言われるわけですね。

この映画を教えてくださったHIROkuTSUgeru/文化アディックさんには最後にもう一度感謝を。ありがとうございます。


ここまで読んで下さってありがとうございました。

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