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私が「スキ」や「いいね」を絶対に付けない人だった話

毎日記事を書いていると、こんな引きこもりニートにすら誰かがスキしてくれたり、フォローしてくれたりする。とてもありがたいことだ。

お礼というわけでもないが、スキしてくれた人のnoteの記事は必ず読みに行って、記事の内容が素敵だなと思った記事にスキを付けている。

だが実のところ、noteを始めたばかりの頃の私は他人の記事を読んでもスキを付けるつもりがまったくなかった。

◇◇◇

noteで「スキ」を付ける。Twitterで「いいね」を付けるのと同様の行為だ。

別のアカウントではあるが、ネット上の数少ない友達と内々に連絡を取るために何年前もからTwitterをやっている。正確には覚えていないが、おそらく10年近くも前からになるだろう。

しかし、私の別アカウントのTwitterには「いいね」を付けた履歴は1つもない。

なぜだと思いますか?

たぶんですが理由が分からない人が多いのではないでしょうか。

私が「いいね」をこれまで付けてこなかった理由は、私の趣味や嗜好が少しでも「いいね」という形で外に反映されてしまうのが怖かったからだ。

インターネットという空間でさえ、まったく知らない他人に少しでも攻撃の材料を与えたくなかった。

私はそれほどまでに、他人とは私を攻撃してくる存在だと、怖い存在だと認識していた。

◇◇◇

ネットで小説を公開している人が感想や批判に耐えられず筆を折る話はありふれている。

私は私のことだけを考え、アウトプットの習慣を付けるためにnoteを始めた。しかし私の考えや内面を偽らずにアウトプットしていると、生みの苦しみや私の1番弱いところを公開する恐怖と向き合わざるを得なかった。

自分が経験したものというのはネットや本から吸収した知識よりもとても強い力を持って影響を与えてくる。

経験と知識がつながることで「記事を書くことで、私も小説を公開してる人と似た苦しみを味わっている最中なんだろうな」と、実感を持って思い至ることができた。

そうして「きっと大なり小なり他の人も同じなんだろう」と思った。

◇◇◇

私がここで記事を書く目的は、アウトプットの習慣化と人へ伝わるアウトプットができるようになることだ。スキを集めることを目的として記事を書いてはいない。

しかしそれでも誰かがスキを付けてくれるというのは、何かが伝わったと感じて嬉しいものがある。毎日記事を書く大きな力になる

そう感じたからこそ、スキしてくれた人のnoteの記事は必ず読みに行って、内容が素敵だなと思った記事に、言葉にしない想いを込めてスキを付ける。スキを付けた記事を公開しているのも言葉にはしない想いからだ。

この記事でくらい言葉にすればいいじゃないかと思う人もいるだろう。

しかし言葉にしないのを許して欲しい。応援の言葉ですら、愛を示す行動ですら受け取る人によっては負担になることがある。それを私はよく知っている。

受け取る人がどのようにも受け取れるように、私が付けるスキに明確な意味を持たせたくはないのだ。

時を戻そう。

スキしてくれた人のnoteの記事は必ず読みに行って、内容が素敵だなと思った記事にスキを付ける。noteを始める前にはまったく意図していなかった行動だが、習慣になるかもしれない。

私にとっては弱みを多く見せる行為でもあるが、きっとそれも悪くないだろう。



ここまで読んで下さってありがとうございました。

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