北風と太陽の太陽は「死にたくなければ変化しろ」と言っている

「北風と太陽」の太陽は、よく「厳罰よりも寛容さこそが大事」「乱暴にやるよりゆっくり着実にやるのが良い」という教訓で使われるが、私は別の教訓を感じる。
それは「相手を変化させたいなら、変化しなければ死ぬという状況に相手を追い込めばいい」ということだ。つまり「死にたくないなら変われ、変わらないなら死ね」ということである。

「北風と太陽」という話を知らない人はいないだろうが、一応説明する。

あるところに、コートを羽織った旅人がいた。北風と太陽は、どちらが旅人のコートを脱がせることが出来るか勝負しようと言った。北風は強風でコートを剥ぎ取ろうとしたが、旅人はコートが飛ばないように必死で抑えつけたためそれは叶わなかった。太陽は、辺りの温度をぐんぐん上げることで、旅人が自分からコートを脱ぐように仕向けた。勝負は太陽の勝ちだった。

という話である。私が大切だと思うのは
「北風がコートを吹き飛ばしてしまえば、旅人は寒さで死ぬ」
というところだ。つまり、変化した場合に死ぬのだ。
一方太陽の場合
「旅人はコートを脱がなければ、熱中症で死ぬ」
となる。つまり、変化しなければ死ぬのだ。

ここから得られる教訓は冒頭の通り「相手を変化させたいなら、変化しなければ死ぬという状況に相手を追い込めばいい」となるだろう。


具体例を挙げる。

昨今、オリンピックの兼ね合いもあって受動喫煙対策案が浮上しているが、反論も著しい。曰く「店内完全禁煙にしてしまったら売り上げが落ちて破産してしまう」というのが店舗側の言い分だ。
これは北風時の論理だ。分煙から完全禁煙に変化することで死ぬことを恐れている。では、太陽の論理を使って変化を促すならどうするか。「完全禁煙にならないとお前死ぬよ?」という状況にしてやればいい。
つまり、非喫煙者が分煙の店舗をボイコットし、完全禁煙の店でのみ食事をするようになれば良い。従業員側も分煙の店舗には就職せず、完全禁煙の店に応募すれば良い。そうなれば、分煙の店舗は売上も人手も落ちる。死ぬか変わるかの二択に迫られるのだ。
いくら「喫煙は個人の権利で尊重されるべき~」と吠えてもどうしようもない。経営が維持できなくなれば変わらざるを得ない。これぞ太陽の論理。暑いのを我慢してコートを着続ければ死ぬのだ。

別の例で、最近テレビで話題になった「アニメーターの低賃金問題」があるだろう。
あれも「業界の構造が悪い!」「現場に金を払え!」と騒ぎ立てても変わらない。なぜなら「変えたらウチの売上落ちるし」と思っている既得権益層がいるからだ。コートを脱いだら死ぬと思っている奴らがいるからだ。
ではどうすればいいか。アニメーション業界でも、ちゃんとアニメーターに賃金と休みを十分に与えている会社も一部には存在する。そういった会社が業績を拡大し、高賃金で他社から優秀なアニメーターを引き抜きまくれば良い。アニメーター側も、今のブラックな現場で低賃金で働くより、休みがあって人並みの給料が貰える会社にどんどん移行するだろう。そうなれば、既存の業界は人手不足で現状を維持できなくなり、死ぬか変わるかの二択に迫られる。コートを脱がなければ死ぬ状態になるのだ。

これらは暴論に聞こえるかもしれないし、実際暴論だと思うが、資本主義の本質ではないだろうか。


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