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視点を高くすると、すれ違う人と、ぶつかりにくくなる!?

道を歩いていると、すれ違う人たちとぶつかりそうになることはありませんか。前から人が来ていることに気がづくと、ぶつからないように右や左によけたりしますが、なぜかその相手も自分と同じ方向によけ始め、右、左、右、左、、、と、いつになってもらちが明かず、文字通り「右往左往」してしまうこと。必死になればなるほど、逆効果だったりすること。

「もしかして、この人とは気が合う!?」なんて訳わからないことを思ってしまうくらいに、エンドレスに続きそうな時もあったりする、まるで磁石のように。すると、だんだんと必死さを通り越し、気まずい雰囲気になり、焦り出し、「まったく、なんでこの人は同じ方に動くの?」と、終いには相手に対してイライラを募らせるようになったりと。あまりの多さに、「なんで?」「あっ、まただ」と自分のタイミングの悪さに嫌気がさしたりしたものです。

「何でなんだろう?」と真剣に悩んだこともありました。

前から人が来ることに気づくと、「ぶつかるまい」「絶対にぶつかるまい」と意識しすぎてしまうからなのでしょうか。意識しすぎる時って、その事、その人にだけフォーカスしていて、周りが見えてないことが多い。おそらく、相手も自分と同じことを考えているだろうから、出会いがしらの「右往左往」を引き起こしてしまうのかもしれません。

最近、久しぶりに仕事で通勤するようになって、たくさんの人とのすれ違いに、ふとそんなことを思い出したのです。

でも、以前とは違って、人とぶつかりそうになったり、出会いがしらの「右往左往」はほとんど起こらない。そんな不思議な「現象」とも思えることが、日々続いています。

「なぜだろう?」「なぜ、ぶつからない?」「なぜ、右往左往せずにすむのか?」

何も起こらずに、スムーズに通行できるなら、それに越したことはないし、気分を損ねることもなく、爽やかな気分で仕事に向かうことができるなんて最高なことなので気にすることないのに、なぜか気になる。そこで、通勤時の自分に意識を向け、自分の通行の仕方、どこを意識して、どこを見て歩いているのかを、客観的に見てみることにしたのです。

焦っている時は、到底できることではないので、比較的時間にも余裕がある時に行いました。すると、あることに気づいたのです。

「視線の高さ」「視点の位置」です。

通勤時間ですので、前も後ろも右も左も人ばかりです。その中を人とぶつからずに歩いていくために、自分が行っていたこと、それは、

「自分より高い位置にあるものに視線を向ける」こと。

例えば、駅であれば、ホームの案内。上の方に視線をもっていくことができて、自然と視野が広がる。できる限り遠くの方を見るようにして歩くことで、自分の周りにいる人と目を合わせることがほとんどなくなり、なぜが人ともぶつかることがなくなるのです。不思議です。そして、気分がいい。

冒頭で触れましたが、前から来る人に「ロックオン」してしまうと、「ぶつかるまい」と意識が働き、相手にもそれが伝わり、お互いの意識が「ぶつかりそうな状態」を引き起こしてしまうと考えるなら、この「視線、視点を高くする」「人に意識を向けない」ことで、広い世界を見ることができ、「右往左往」してイライラすることもなくなるのかもしれません。

この「視線を高くする」ことで、見える世界が変わることはよくあることだと思います。さらに「視点を高くする」ことで、自分の心に余裕が生まれ、より広い世界を受け止めることができるようになるのかもしれません。

広い世界とは、今までに体験したことのないような物事に触れることができ、会ったことのない人たちと関わることができて、自分とは違う価値観に触れることで、今までとは全く違ったものの捉え方をすることができるようになる世界。

未知の世界。

新たな世界。

自分の目標を定めて、それに向かって進んでいく。目の前のことに「右往左往」することなく進んでいくために、できる限り視点を高くすること。日常の生活においても、人生においても、そんなことを意識して暮らしていったら、きっとそんな世界に辿り着けるのかもしれません。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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