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あの時の出会いは、運命だったのかも、、、と思ったお話。

日常生活の中で、「これは運命かもしれない!」「それって、きっと運命だよ!」「出会うことになってたんだよ!」と思えることがあると思うのですが、私も随分前に「運命だったのかも」と思えることを経験したことがあります。高校3年の3月のことです。

その日私は、学校が終わり帰宅してから、着替えることなく制服を着たまま、自転車に乗って買い物に出掛けました。都会とはほど遠い田舎町だったため、買い物に行くとしたら、数年前にできたショッピングモールくらいで、きっとその時もそこに行ったのだと思います。

ただ、その日は、ショッピングモール以外にも、どこかに寄ったようなんです。ショッピングモールから直接帰宅していたら、「運命だったのかも」と思えるようなことには遭遇していなかったからです。少し遠回りをして帰った家路に、その「運命だったのかも」と思える「出会い」が待っていたのです。

その場所は、町の中心にある駅のすぐ近くにありました。そして、その場所の前の道をまっすぐ行けば自分の家に辿り着くという所に、「あの子」がいたのです。駐車場の入り口にビニール紐で縛られた状態で。私は自転車を止めて、思わず話しかけてしまいました。

「あれ、何でここにいるの?」「誰がここに縛ったんだろう?」

そこには、おそらく生後数ヶ月と思われる、つぶらな瞳をして、こちらをじーっと見つめている「子犬」がいました。鼻は黒く、柴犬と同じような色の毛をした小さい犬が。近寄っていくと、鳴いたような気がします。飼い主に何かを求める時のように、後ろ足で立ち、前足を飼い主の体に頂戴するようにもたれかけながら。

私は、幼い時から動物は苦手で、特に、犬に会うと逃げ出すくらいだったのですが、その時は、子犬でしたし、縛られていて、誰が見ても「捨てられたんだな」と分かるような状態だったこともあり、「怖い」という気持ちよりも、「可愛い」+「可哀そう」+「どうして」という気持ちの方が上回っていたので、1ミリたりとも躊躇することなく、子犬に向かっていました。

「ごめんね、うちは飼えないんだよ。」

私は、どうにかしてあげたいけど、どうすることもできないもどかしさを、「ごめんね」という言葉をはじめに付けて言うことで、自分に「仕方がないんだよ」と言い聞かせながら、飼ってあげられないという罪の意識を少しでも軽くしようと必死でした。

どのくらいそこにいたのかは分かりませんが、そんな言葉を何回も何回も繰り返しながら、最後に「じゃあね。」と一言残して、その場を去ったのです。そして、その後、帰宅すると、思ってもみなかったことが起きていたのです。

「ただいま。」

家の中に入っていくと(正確には、お店の中に入って行くと)、何やら奥の方が騒がしいのです。「なんだろう?」と思いながら近づいていくと、

なんと!

あの、あの「子犬」がいるじゃないですか!黒い鼻をした、つぶらな瞳の、そして、縛り付けられていたビニール紐を首に付けた、あの「子犬」が!自分の目を疑いました。

「うそ!その子犬、どうしたの?どこから来たの?」気が付くと、興奮しながら叫んでいました。ドキドキ、ドキドキ、心臓の鼓動が止まりません。

「その犬、さっき会ったんだよ!出掛けた時に。駅前の駐車場の入り口に縛られてて、うちでは飼えないから、ごめんねって言って帰ってきたんだけど。その犬とそっくりだもん。」

「うん、この犬ね、ついてきちゃったんだよ。」と、母親が一言。

母親の話によると、近所の八百屋さんに買い物をしに行って、店先で知り合いと話をしていた時に、子犬がトコトコ歩いて近づいてきたんだそうです。あれ、珍しいね。どこの犬だろうね、と色々と話をしていたそうです。そして、話が終わり、家に帰ろうとして歩き始めると、その子犬が母親についてきてしまったようなのです。

えっ!もしかして、私の後を追いかけて来た?

私はそんな風に思うと、信じられない気持ちで、動揺し始めました、。母親が買い物に行った近所の八百屋さんは、私の家の数軒隣りにあって、その子犬が縛られていた駐車場の前の道沿いにあったからです。

もう私の願望、思い込み、妄想は止まりません。この子犬は、私が立ち去った後、いてもたってもいられなくなって、自分で首のビニール紐を何度も何度もかじってちぎって、私が去っていった方にひたすら走って行ったんだと。気が付けば、そんな勝手な願望、妄想をそこにいる家族に熱弁していました。

そして、会話はいつしか「この子犬どうするの」といった内容に。すると母親が、「ついてきちゃったから、もう飼っちゃおう!と思って、飼うことにしちゃった。」と。母親は私と違って、犬が大好きで、自分でも飼っていたことがあるので、可愛くて可愛くてしょうがなかったんでしょうね。

私の家には、父方の祖父母がいたので、犬を飼うにしても祖父母の了解を得てからでないとできないはずだったのですが、その時は、母親が祖父に、「おじちゃん、飼っちゃっていいよね。」のような感じで了解を得る、というよりも、「そうしますね。いいですよね。」と報告、念を押すような感じで決めてしまったのです。

あっけにとられてしまいました。あまりにも、あっさりと決まってしまったので。私の「ごめんね、うちは飼えないんだよ。」は何だったんだろう。もしかして、私が云々ではなくて、もうすでにこの犬は、うちに来ることになっていたのかもしれない。もっと言えば、あの時私がこの犬に会ったから、こうなったのかもしれないと、勝手な思いに駆られたのでした。そして、もう一つ、「きっと運命の出会いとは、こいうものなのかもしれない。」とも。

この子犬との出会いから何十年と経ちますが、未だに、この時のことを思い出すと、「出会うべくして出会った」「運命的な出会いだった」のかもしれないと思ってしまいます。そして、そう思うには、もう一つ別の理由がありました。

この子犬に出会った時、私は高校を卒業し、上京することになっていました。姉はすでに家を出ていて、私が上京すると家に残るのは弟のみ。家には女子がいなくなる、だから、この子犬が代わりに来てくれたんだと思ったからです。子犬はメスでしたから。私たち家族の「末っ子娘」、そして私たちの「妹」。

その後、私が家を出てから、両親は「末っ子娘の妹」をとても可愛がっていました。私も家に帰った時には、「妹」と散歩に出かけては、よく悩み事を聞いてもらったりもしましたね。私が話していると、じーっと私の目を見て聞いてくれているような表情をするんですよ。その表情にどんだけ癒されて、救われたことか。懐かしいです。今は星となって、天国から見守っていてくれてるのかな。

みなさんの「運命だったのかも」と思えるようなことは、どんなことですか。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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