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秒速5センチメートル…

 「秒速5センチメートル」は、2007年に公開された新海誠監督の代表作の一つだ。満開を過ぎ、散り始めた桜の花びらが一枚一枚ひらりはらりと舞う姿を見ると毎年のように思い出す。共感して見るか、一歩退いて見るかによって随分感想が違うとは思うが、今ではすっかりと褪せ、遠い昔になってしまったはずの悔恨に満ちたほろ苦い記憶が色鮮やかに蘇り、そしてその度に私を苛む。

 映画のオープニングは、一条の光の帯が暗闇を照らす中にアップになった桜の花びらが一枚、また一枚、光の中に浮かび上がり、そして暗がりに消え落ちてゆく…。そこに幼い女の子の声が右側から「桜の花びらが落ちる速さってどのくらいか知ってる?」と流れ、左側から男の子の声が「えっ…?」と入る。一息置いて女の子が「あのね、秒速5センチメートルなんだって…」と答えて…、それに重なるように画面が桜満開の公園に切り替わり、「秒速5センチメートル」というタイトルと「映倫」のマークがバーンと出る…、はずだった。

 そう…、そのはずだったし、この十数年友人には、少し左上に視線を上げ、まるでその光景を頭に浮かべるようにしながら熱く語ってきた。と言うか、その映像がしっかりと頭の中に再現されてきたのだが、改めて映画を見ると…、全く違っていた。話の筋と他のシーンは記憶と映画が完全に一致しているのだが、このオープニングだけは違う。似ても似つかない全くの別物だ。では、私が「確かに見たはず」の映像は何だったのだろうか?

 もしかしたら、先述した自身の「悔恨に満ちたほろ苦い記憶」が影響しているのかも知れない。確か、”あの記憶”は真冬の深夜の話で、それはそれは寒い日だった。そこは新興の住宅街で、まだまだ街灯も整備されていなかったので、歩道の端に電話ボックスだけが暗闇の中でぽつんと浮かんでいた。時折、気まぐれな北風が吹いて、電話ボックスの灯りが、舞い落ちる粉雪を暗闇の中に浮かび上がらせる。そこからかけた電話で、当時交際していた女性から苦しそうな「突然のさよなら」を告げられた。就職先も決まり、大学卒業間近の私の時間が停止し、周りの風景がセピア色に変わった瞬間だ。そして次の瞬間、まるでジグソーパズルのように音を立てて崩れ去った。世界が消滅したように感じて茫然自失となり、その後長い間女性に近づけなくなってしまったが、今想えばその時に彼女を責めた自分が、随分と子供じみていたなと恥ずかしくなる。ただ、その衝撃がこの映画に重なるレイヤーとして記憶に張り付いてしまったのだろう。

 秒速5センチメートルは分速に直すと3メートル、時速では180メートルだ。同じ速度を表しているのに随分と印象が違う。人が生きる物差しも各々異なっているようだが、別々の記憶も思わぬところで交差し、重なっているものなのかもしれない。
 秒速5センチメートル…。
 どこかで彼女も桜花の舞姿を眺めているのだろうか。

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