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【世界のヒーロー紹介】インドのヒーロー映画①:『フライング・ジャット(2016)』

どうも、ボトムマンです。さて皆さん突然ですが、インド映画ってお好きですか?
『バーフバリ』二部作、『きっと、うまくいく』『ロボット』......この辺のインド映画を見たことがある方にはイメージがつくでしょうが、西洋諸国や東アジア諸国の映画とは一線を画す、独特な雰囲気を醸し出す映画が多いのがインド映画です。
筆者はインド映画特有の演出が大好きです。他の地域の映画では見られない、独特の暖かさやユーモア、エネルギー、そしてワンダーが詰まっていると思います。

そんなインドがヒーロー映画を作ったら、想像付きますか?

当然、あれだけ大きな映画産業を持つ国にヒーロー映画が無いはずがないですね。インドでは数多くのヒーロー映画が製作され、その多くは日本に輸入されていません。しかし、日本にまで輸入されてきた映画はどれもとにかくアツい王道/正統派なものが多いのです!とにかくストレートなんですよ。
今回ご紹介する映画はそんな“インド映画のワンダー”とアメコミヒーロー映画のエッセンスをうまく混ぜ合わせた傑作映画、『フライング・ジャット』でございます!!(インドのヒーロー映画“①”なので、もちろん第二弾も考えてますよ!)

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▲ポスター(IMDbより引用)B級臭がすごい!でもそれが良い!侮るなかれ。

本作を先にまとめて簡潔に表現するのならば”前半はアメコミ映画のボリウッド・コメディRemix、後半は超・王道シク教ヒーローの誕生譚”でしょうか。詳しく語っていきましょう。

予告編

▲『フライング・ジャット』日本語字幕版予告編

大まかなあらすじ

主人公は普段地元の小学校で武術教師をしている、真っ直ぐで素直だけど少しヘタレな青年:アマン。彼は母、兄と一緒に湖の辺りの小さな集落で平穏に暮らしています。一方、湖の対岸には大きな科学工場が聳え立ち、工場の経営者:マルホートラは工場の生産効率を上げるために湖を渡る橋を建設したい、そのためにアマンたちが住むこの集落の土地を、何としても買収したいと考えています。

しかし、地主でもあるアマンの母を筆頭に、住民たちはこれに猛反発しています。自分たちの住処である以前に、この集落には樹齢2000年のシク教の御神木が生えておりまして、宗教的価値から考えてその神木を切り倒してはいけないというワケです。

痺れを切らしたマルホートラは夜中のうちに神木をこっそりと切り倒してしまう計画を立て、ラカという傭兵の大男を雇います。深夜、ラカが今にもチェーンソーで木を切り倒そうとしている現場に出くわしたのが我らが主人公:アマンです。

腐っても武術教師。アマンが立ち向かいますが、ラカはあまりに強く防戦一方、アマンは呆気なく木に叩きつけられてしまいます。しかし次の瞬間、御神木に雷が落ち、その衝撃でラカは湖の反対側:化学工場の廃棄場まで吹っ飛び、アマンは神木の根本で意識を失います。

翌朝(何故か自室のベッドで)目覚めたアマン。怪我は完治した上に身体能力は飛躍的に向上、おまけにいろんな超能力まで付いている。アマンは御神木から特別な能力を授かりました。それを知った母と兄は大喜びで踊り出し、アマンをスーパーヒーローにしようと目論みます。

オカンは息子のために手作りの特製コスチュームを仕立て、かつてシク教徒の伝説の戦士だった、亡き夫の異名をアマンに継がせます。こうして、地域密着型ヒーロー、”フライング・ジャット”が爆誕しますッ...!

Super Hero Landing(引用:予告編より)

▲決めポーズ!こういうの、『アイアンマン』以降減ったよね。
あと必殺ムーヴするときのキュイーンみたいなSEがめちゃカッコいい。

しかし!特別な力を得たとはいえ、人はいきなりスーパーヒーローになれるわけではありません。能力を授かってもヘタレが治らないアマン。全くうまくいかず初日で辞めたいとか言い出す始末ですが、だんだんと軌道に乗り始め、やがて街の人々に大人気のヒーローとなります。

もちろんマルホートラの悪行も見逃さないフライング・ジャット。苛立つマルホートラの元に一人の男が帰還します。そう、ラカです。あの夜、墜落した廃棄物処理場の化学物質によって突然変異を起こしたラカは、ゴミや廃棄物といった汚染物質を力に変える怪人に変わり果てていました。マルホートラはラカを支援し、フライング・ジャット退治を依頼します。

果たして、アマンはラカの魔の手から人々を、そして母なる惑星:地球を守ることが出来るのか!?本作は前半は痛快なヒーロー・コメディ、後半は一辺変わって超・ドストレートな王道ヒーロー誕生譚映画となっております。

主人公について

主人公:アマン 

アマン(引用:予告編より)

ヘタレでずっとオカンに怒られてる主人公。特に前半は情け無いシーンも多いですが、家族や自分の生まれ故郷への想い、ヒロインであるキルティへの片想いなど、とにかく素直で真っ直ぐな、見ていて非常に清々しい主人公です。楽しそうにヒーロー活動をする様子と、そのときの屈託の無い笑顔がたまらないです。
主人公のアマンを演じたボリウッドスター:タイガー・シュロフが素晴らしいですね。『スパイダーマン:ホームカミング』の主人公役のヒンディー語版吹き替えも担当したそうです。ちょっとベビーフェイスでハンサムなスマイルがとても魅力的で、パワーのある役者さんですが、インスタを見てみたら......

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▲なんじゃこりゃ!筋肉オバケ!

見てくださいこの筋肉!ギャップがすごい!身体能力がかなり高い俳優さんだそうです(蹴りがすんごく綺麗)。『ランボー』のインドリメイク版の主演やボリウッド筋肉アクションの主演作も多いそう。ハイレベルなアクションを自らこなし、もちろん、インド映画お決まりの激しいダンスも歌いながら完璧にこなします。英語のセリフもちょくちょく挟まるので、ある程度の英語も話せる。ボリウッドでスター俳優になるのって、求められるスキルが多すぎやしませんか?かと言って、マッチョなむさ苦しい感じは不思議と感じさせない、邦画やハリウッド映画ではあまり見かけないタイプの俳優さんです。主人公の紹介のはずがいつのまにか俳優さんの紹介になってしまった......ムキムキボディの上にベビーフェイスなハンサムヘッドが乗っかってます。タイガー・シュロフ、タイガー・シュロフさんです。名前を覚えておいて損はないですよ!

主人公の周辺人物について

家族を重んじるインドのお国柄、やはり家族愛、そしてコミュニティへの愛が本作最大のキモであり、テーマとなっております。

オカンと兄貴(引用:予告編より)

アマンの母(画像右)
日本版ソフトのコピーでは「ママが作ったコスチューム」とありますが、「ママ」というより「オカン」と言った方がしっくりきますね。悪役の手下をスリッパで撃退するなど、作中最強キャラです(笑)。夫(アマンの父親)は化学工場の排気ガスによる大気汚染公害が原因の肺ガンが原因で死別しています。

アマンの兄:ローヒト(画像真ん中)
煩悩丸出しのオトボケキャラですが、アマンの最大の理解者で友とも言える存在。コメディ・リリーフ的なキャラだと思っていたら実は本作のもうひとりの主人公。終盤にかけて、主人公以外のキャラクターの中で最もダイナミックな変貌を遂げる人物です。彼こそが本作のヒーロー哲学、テーマを最も端的に表しているキャラクターだということが徐々にわかっていく展開が最高にアツく、胸を抉られました。

ヒロイン:キルティ

キルティ(引用:予告編より)

主人公の片想いの相手で、でも彼女はフライング・ジャットっていうヒーローが好きで、その正体にはなかなか気付けなくて......みたいな、よくあるドタバタラブコメをアマンと展開するヒロインなのですが、ラブコメ要素以外のキャラクターの掘り下げがなく、若干お飾りヒロイン気味だったのは勿体無いような気がしなくもないです。近年のインド映画では女性の表象の仕方を見直す流れが起きているそうですので、あるなら続編に期待ですね。演じたジャクリーン・フェルナンデスさんはボリウッドを中心に大活躍中だそうです。

そして、二人の悪役

ラカ

ラカ(引用:予告編より)

デカい!強い!話が通じない!近年のヒーロー映画では悪役にも共感できるほど掘り下げたキャラクター造形が求められるようになってきましたが、敢えてその逆をいくような、大したバックボーンも語られない(初登場シーンでは何故か砂漠の砂の中から現れる。意味わからん...)、5歳児でも一目で悪いやつだと理解できる悪役の造形が素晴らしいです。
本作のオープニング映像は”環境破壊を止め、地球の自然を回復するヒーロー”という内容のアニメーションになっていて、明確に環境問題をテーマとして提示する映画になっています。すなわち、環境破壊こそ最大の悪であると考えている作品です。その悪役であるラカの能力設定が”汚染物質を力にしてパワーアップする”、”地球が汚れれば汚れるほど強くなる敵”という、非常にストレートな設定が秀逸でした。演じたのは『マッドマックス:怒りのデス・ロード』のリクタス役でお馴染みネイサン・ジョーンズ。

マルホートラ

マルホートラ(引用:予告編より)

残忍、無慈悲な工場の経営者。民のことなどゴミほどにも思っておらず、倫理観に欠けた金の亡者です。しかし、そんな彼の唯一の弱みが亡き妻との間の一人娘という、やはりここでも“家族愛”が強調されています。

とまぁ、映画の事務的な紹介はここまでにして、ここから先は僕がこの映画がいかに好きかというのを好き勝手にしゃべっていきます!ネタバレにならない程度に、本編の内容に若干触れながら話していきます。

ヒーロー観について

アメコミヒーローについては、よくこう言われます。「DCは神話、マーベルは人間性」。
文字通り天から降ってくるスーパーマン、神話の世界の島からやってくるワンダーウーマンのような”人間たちの住む世界に神が降りてくる”というようなプロットが目立つDC。もちろん、プロットは神話的とはいえそれぞれのキャラクターを人間臭く描いています。要するに、神を人間らしく描くワケですね。
一方、能力を得た4人が人間関係に悩むファンタスティック・フォーや、一般市民に紛れて生活しているミュータントたちの差別や分断との戦いを描くX-MEN、悩める若者がヒーローになるスパイダーマンなど、マーベルには”能力を得た市民たちの物語”というプロットが目立ちます。
本作『フライング・ジャット』はそんなアメコミ二大巨塔のエッセンスをある種パロディ的にともいえますか、うまく同居させ融合したうえに、そこにインドの宗教観:シク教のエッセンスをうまく載せることに成功した作品だと思います。
シク教の教義における最終目標は、”ムクティ”と呼ばれる”輪廻転生を繰り返した末に神と合一すること”だそうです。また、シク教にはカーストの否定という特徴も挙げられます。本作では貴族階級でもない、仕事も一流じゃない、ましてや長男でもない、社会的には負け犬のような男:アマンが一度悪役に倒され(ある意味の死を迎え)神木から力を授かることで生まれ変わるお話です。
そして、劇中幾度も襲いかかる試練を乗り越え、時には絶望のどん底まで叩き落とされる。そして、そのたびに”死からの再生”、まさに輪廻転生のごとくまた立ち上がる。
そうしてクライマックス、シク教の歌(←これがワケわからんほどカッコいい)をバックにラカとの最終決戦に挑むことで人々のヒーロー、すなわち神(?)となるまでを描くのが本作『フライング・ジャット』です。

ヒーロー映画の原風景はどこにあるのか(仮説)

近年のヒーロー映画は、昔に比べて“市民”、つまり“ヒーローによって助けられる無力な人々”を描写する時間が減ってきているように思えます。これは憶測ですが、クリストファー・ノーランのダークナイト・トリロジー、そしてマーベルのMCUの大成功によって大作ヒーロー映画やドラマが量産されるようになると、ヒーローの人気を出すために、それぞれのキャラクターに他とは違うオリジナリティが必要とされるようになったのでしょう。他のキャラクターとの差別化を図るためには、人助けのシーンよりも主人公のバックボーンや対人関係、悪役との確執などに時間を割くのが得策なのです。MCUのフェイズ4は、作品によってはコレを徐々に回復しようとしているように思えます(ex.『ファルコン&ウィンタ・ソルジャー』『エターナルズ』の冒頭 他)

しかし、筆者は映画に限らずヒーローものというジャンル、英雄譚というものの原風景には以下のようなものがあると考えています。

誰にも事態を動かせないほどの危機に陥ったとき、無力な人々が
「こんなとき、突飛な能力を持った存在が助けてくれたら良いのに」と“願う”。
その“願い”に応える存在がどこからともなく現れて、
人々を救い、なんの見返りも求めずに去っていく。

例えば、西部劇やそれを元にした黒澤明の『椿三十郎』なんかはまさにコレなんですよね。『水戸黄門』シリーズなんかもそうです。大体は上記のプロットに当てはまるのです。最近の映画でこれをやって最も成功した作品を挙げるとしたら、なんと言っても『マッドマックス:怒りのデス・ロード』でしょう。(この“ヒーロー原風景論”の話は長くなるうえ、リサーチが必要なのでちゃんと勉強して後日記事にまとめたいと思っています)。

このときの“突飛な能力を持った謎の存在”、すなわちヒーローについてを掘り下げるのがギリシャ神話だったり、『スーパーマン』以降のアメコミだったりするのです。市民から見れば謎の上位存在であるヒーローの正体を、観客として知ることが出来る面白さですね。しかし、英雄神話の原風景において(筆者の仮説において)同じぐらい必須なのが、市民の視点です。市民から見て英雄はどのような存在なのか、英雄の行動が市民にどのような影響や変化をもたらすのか、その描写がしっかりと出来ているヒーロー映画は“王道”なんて言われるワケです。筆者はこれらのニュアンスを全部ひっくるめて、仮に“無邪気なヒーロー観”と呼んでいます。

例:ビルから女性が今にも落ちそうだ!救助は間に合わない!手を滑らせ、みるみる地面に落ちていく.....そんなとき!スーパーマンが飛んできて女性を優しく地面に降ろす!人々が喝采をあげ、微笑むスーパーマンが青空に飛び立つ。

興味深いことに、ハリウッドのアメコミヒーロー映画が忘れかけたり思い出したりを繰り返しているこの“無邪気なヒーロー観”を、全く手放すことなく、1ミリの恥ずかしげもなく、ドストレートにブン投げてくるのがインドのヒーロー映画なのです。(ex.『クリッシュ』『フライング・ジャット』『ラ・ワン』『ロボット』他)
端的に言うと、ヒーローと市民の距離感がサム・ライミの『スパイダーマン2』ぐらいの作品ばっかなんですよね、インドのヒーロー映画。なんなら、悪役でさえヒーローによって変化させられることも多いです。インドのクリエイターたちはヒーローという概念に対する信頼感が強いんでしょうね。

『フライング・ジャット』は、ヒーローに対する街の人々の反応や熱狂を劇中で何度も映し出します。ヒーロー活動の開始初日はヘマばかり、市民からはコスチュームを着たバカ、変質者とさえ思われてしまっています。しかし、群衆とマスコミの前で人質事件をなんとか解決してからは市民たちのリアクションが変わります。主人公のヒーローとしての成長を演出する手段として、“市民の反応”を使うワケです。そして、何より大切なのが、ヒーローの行動によって市民の行動が変わっていくところで、さらにそれが現実の環境問題とリンクするところです。

若干エンディングの内容について触れますが、もうひとつ胸にグッと来た演出があります。ラカとの最終決戦へ覚悟を決める主人公の背中を押すのが、とある登場人物の存在であることと、彼に力を与えた神木を通じて聴こえてくる、無数の人々の祈りの声であるところです。スーパーヒーローものというジャンルにおいて、こんなにもストレートな“民のヒーロー”演出は未だかつてなかったのではないでしょうか。世界中がヒーローの存在に希望を見出している、ヒーローを望んでいることをやりすぎなぐらい真正面からやろうとするこの映画のヒーロー愛、そのあまりのピュアさに打ちのめされました......
神となったアマンが宇宙から地球を見下ろすところで終わらないのが、僕がこの映画が好きなところです。人々を空から見下ろすのではなく、故郷の土を踏んで、人々と同じ視線の高さで民の元に帰ってくるというエンディングが”人間”を描くアメコミ、そして何よりカースト制度を否定するシク教らしくて大変素晴らしいのです。こんなに市民とヒーローの距離感が近い映画、そんなに無いのではないのでしょうか?

"お手製ヒーロー"はダサい?

この映画に限らず、メジャーではないヒーロー映画の多くの抱えるイメージは「スーツがカッコ悪くて手に取る気になれない」というものがあると思います。
本作のヒーロー、フライング・ジャットのスーツも、お世辞にもアベンジャーズのメンツと並べるほどのデザインには見えませんね......

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しかし、ヒーローコンテンツ(特に平成ライダー)が好きな人には分かると思うんですが、どんなに安っぽかろうがごちゃごちゃしていようが、本編を観終わった後に改めてコスチュームを見ると不思議とカッコよく見えたり、愛着が沸いてしまうんですよね。だってこのスーツ、オカンが作ってくれた大切なスーツだし、ターバンは親父の形見だもん。ダサいなんて言えないよ。いろんな人のいろんな思いが詰まったコスチュームなんですもん。日本語版パッケージのコピー、「ママの作ったスーツで参上!」とか、なんだかマザコンみたいな、若干小馬鹿にしたようなコピーになってるけど、このコピーを考えた人は本当に本編を見たんでしょうか......?
ママというよりオカンの方がしっくりくるし、家族の思いや願いの結晶のようなコスチュームなんですよ......
これ、同じくインドのヒーロー映画で『クリッシュ』っていう映画があるんですけど、ここでも変なコピーが書いてあるんですよ......なんだよこれ......しっかりして下さいよ、もう!

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▲“ニート兼スーパーヒーロー カレーの国から参上。” 
ちなみに本編にはカレーは1秒も出てきません。ニートは本当ですけど
予告するとインドのヒーロー映画②ではこれをご紹介する予定です!

低予算ヒーローにしか出来ないこと

この映画、別に低予算というワケではないと思うのですが、ハリウッドのウン億ドル級の映画に見慣れた人から見たら、若干チープな映像に見えてしまうと思います(ていうか、ボリウッド大作ってハリウッドと比べてお金を使うところが明らかに違うんですよね)。しかし本作は低予算にしか出来ないアイディアが詰まってるのが良いですね。
“空を飛べるけど高所恐怖症のせいで低空飛行しか出来ない”という設定はもう、発明だと思います。クレーンで吊ってめちゃくちゃ低い迫力のない飛行シーンになってしまってもなんの違和感もないですね。だって低空飛行しか出来ないんだもんw マジで発想の勝利。何食べてたらそんなん思いつくんだろw
低予算映画の荒さって、やっぱり大作映画と同じ内容ものをやるとどうしても出てしまうと思うんですけど、コメディにしてしまえば逆にその荒さが映えるんですよね。

低空飛行(引用:予告編より)

▲せっかく空を飛べるのに高所恐怖症のせいで低空飛行(信号も守る)。
派手な飛行シーンを違和感なく割愛する素晴らしいギャグアイディア!

筆者は“上手く作られた映画”が好きですが、それと同じぐらい、いや、それ以上に“アツく作られた映画”が好きです。『ロッキー』なんかがその筆頭ですね。撮影や演出技術なんかは世界最高のレベルのものでなくても、ハリウッド大作級の莫大な予算やマーケットがなくとも、それでも撮りたいものがある、観客に見せたいものがある、そんな作り手の熱が伝わってくる映画。本作はまさにそれ。初めてパッケージを手にとったときはあんなに泣かされるとは思わなかったし、胸が熱くなると思わなかったし、こんなにこのヒーローが好きになるなんて思わなかったですよ。これもまた、低予算映画ならではの良さだと思います(低予算じゃないけど!)。

オマージュが多過ぎ!

そんな本作、アメコミ映画のオマージュがところどころ点在しています。それこそ、やりすぎなぐらいに。モロ丸パクリレベルのものもあれば、どこか聞き覚えのあるニュアンスのセリフだったり、見たことのある超能力だったり、物語世界内の画面に映ったり(著作権的に大丈夫なんだろうか...?)。MCUと違って、コミックではなくあくまで“アメコミ映画”からの引用が多いので、コミックに詳しくない人でも思わずニヤリとしてしまうところも多いはず。筆者が数えてみたところ、少なくとも14箇所はアメコミ映画やブルース・リー、マイケル・ジャクソンのオマージュがありました。

あまりに多いオマージュは全て拾える観客なら問題なさそう、むしろファンサービスにもなりえますが、インドの映画批評サイトではこんなことも言われてしまっているそうです。

「映画の喜劇性、時折現れる独創性と純真なオーラは奥行きの欠如にも関わらず、独自の方法で効果的に描かれている。(中略)『フライング・ジャット』はインスピレーションを西側映画に頼らなければ、より良い結果になったかも知れない。これは非常に若者向けとなっている」
(https://www.firstpost.com/entertainment/a-flying-jatt-review-tiger-shroff-is-a-sikh-superhero-in-this-tacky-yet-funny-film-2976430.html 2021年11月19日アクセス)

まさにその通りで、この映画、いろんなアメコミヒーローやポップスターのオマージュやリスペクトに溢れていて、それらを踏み越えて最高のオリジナル・インド・ヒーローに進化するところが最高にアツいところなんですけど、若干オマージュが多過ぎてノイズになっている感も否めません......西洋のヒーローへの愛情や思い入れは嫌というほど伝わってくるのですが、せっかく生み出した最高のインド産スーパーヒーローの、オリジナリティ溢れるファイト・スタイルが最終決戦以外は目立たない、というのは若干もったいない気もしますね。監督と好きなものが被る人だったら堪らないかもしれませんが(日本でこの映画を選ぶ人の多くは被ると思いますが)、そうでもない人には少し飽きてしまうかもしれません。

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まとめ

レモ・デソウザ監督のアメコミ映画愛、ヒーロー愛、ブルース・リー愛、マイケル・ジャクソン愛、そして何より地元愛、色んな愛が詰まった151分が『フライング・ジャット』です。そしてそこには、ハリウッドが忘れかけたり思い出したりを繰り返す“無邪気なヒーロー観”、“ヒーロー映画の原風景”が拡がっています。
「ひさびさにストレートなヒーロー映画が観たいなぁ」なんて思っている方には超オススメの一本になっております!ぜひお近くのレンタルビデオ店にて、手に取ってみて下さい!できればどっかの配信サービスにも来て欲しい!

▲ヒーロー活動を始めたばっかの頃のシーンで流れる曲。

▲最終決戦のワケわからんほどカッコいいシク教の歌。
Youtubeだと何故か音が高くなってます......

▲個人的お気に入り、オープニングシーン。これぞボリウッド!って感じの、
景気の良いお祭りソングにダンスに色彩となっております。


11月27日 追記〜再上映決定!〜

なんと!『フライング・ジャット』を映画館のスクリーンで観ることが出来ます!
インド映画特集上映「インディアンムービーウィーク2021 パート3」が12月17日より全国10館で開催されます!その上映ラインナップに『フライング・ジャット』が入ってます!もちろん、本作以外にも、日本初上映作品含む10本の作品が上映されるそう!
この貴重なチャンスは逃せないッ!!
詳しくはこちら↓
https://www.google.co.jp/amp/s/amp.natalie.mu/eiga/news/454921

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