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トラウマに感謝できる日とは

「 過去に起こった、つらかったことも、今は心から感謝しています 」

尊敬する人が、このようなことを言っていた。

当時、私はまだそうは思えなかった。

過去のトラウマにより、希死念慮が20年近く断続的につづき、
仕事や日常生活、人間関係に支障をきたしつづけた。

若いうちに、皆でどこかへ遊びに行ったり、
仕事をもっとたくさんやりたかった。


今日の夜 (さっき) 、薬局で買い物をした。

痛み止め、ココアパウダー、チョコクッキー、リップクリーム。

レジに持っていき「 袋いりますか?」と聞かれ
「 いらないです 」と答える。

その後、
「 ほんと?持てる?やっぱ袋おまけしておくね。内緒ね 」
と、なぜか有料の袋にタダで入れてくれた。

すべて片手で持てる量だし、車なので
本当にいらなかったけれど、
その心遣いが嬉しかった。

( 買った物で生理痛がバレて、憐んでくれたのかもしれない )



親切を行動にうつせる人を、尊敬する。

それは、ときに勇気がいるから。


人の親切 ( 勇気 ) に気づこうとすること、
そもそも、それを「 親切 」だと感じること、
そしてそれを受け取って「 ありがたい 」と思うこと。

おそらく、過去のトラウマがなければ
そのような感性は培われなかったかもしれない。

幸せとは、私にとって
「 ありがたい 」と感じることだから。


こんな些細なことで、今日、トラウマに感謝した。

人の親切に感動できる感性を
育ててくれてありがとう、と。


最近は、関わってくれる人がいても
それが「 普通 」になってしまっていた。

なんと恵まれた「 普通 」か。
己の高慢さを反省。

一緒に暮らしてくれる人、
一緒に仕事をしてくれる人、
友人として関わってくれる人。

それは普通なんかじゃない。当たり前でもない。

以前は、隣のデスクの社員さんに
「 同じ空気吸ってるのに殴らないでいてくれるなんて…!」
と、感極まっていたのに。

慣れとはおそろしい。


関わってもらってる、そこにいて大丈夫だと思える、
そういう環境にはいつも

私の小さい脳みそでは、想像しきれない
だれかの配慮がある。

その前提と、その配慮への感謝を忘れず、

自分も、薬局の店員さんのように
臆せずだれかに親切にできる人でありたい。


( ちなみにその店員さんは両腕にタトゥーがっつり入った陽気な人で、私の後ろに並んでるお客さんにも「 あなたは今何も見てないからね!」と言いながら私の商品を袋に入れてくれた。後ろの人も「ええ、私は何も見てないわ笑」と。アメリカっぽい。 )



cinemakicksさん、素敵な写真のシェアをありがとうございます。
万華鏡きれいだ。。

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