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続・アイコの思い出

アイコに会って一年が過ぎた頃、季節は春になり、我が家のマンションおよび隣のダイナミックパパのアパートが面している細い車道は、満開の桜並木でいっぱいになりました。

相変わらず朝はダイナミックパパの怒号が響き渡り、車道には子どもたちがあふれだし、ダイナミックママがスーパーから持ち出してきたカートが自転車置き場に自転車とともに当たり前のように並んで置かれていました。(ダイナミックママついにカートを私物化。家とスーパーを往復する際に毎日使っていました)

しかしそんな風景も美しい桜吹雪に覆われて、それはそれでひとつの幸せのかたちのように、わたしには見えました。

ある朝、その桜の下で、ダイナミックパパがめずらしくスーツを着て、そしてダイナミックキッズの下の双子の男の子と女の子がピカピカのランドセルを背負って黄色い帽子をかぶって並んで立ち、それをダイナミックパパが腰をかがめていっしょうけんめい写真を撮っているところに出くわしました。

とても微笑ましい光景でした。

思わずわたしは「かわいいですね〜!!」と声をかけました。

ダイナミックパパはそんなわたしとちらりと視線を合わせると、わたしをいなかったことにして再び写真を撮り続けていました。

うしろに、アイコがじっと立っていることに気がつきました。

いつもなら駆け寄ってくるアイコはそのとき別人のように黙って、父親越しにこちらを静かに見ていました。

挨拶したわたしと、それを無視した父親、というコントラストにはさまれて、アイコが子どもなりに複雑な何かを感じているのが伝わって来ました。

ダイナミックパパおよびダイナミックママにはこれまでも挨拶をシカトされたことは何回もありました。

わたしは彼らにどちらかというとポジティブな好奇心を持って見ていましたが、そんなわたしみたいな人間のほうが稀なわけで、現実にダイナミックパパとダイナミックママは、自分たちが近所から好かれてるかどうかくらい、わかってるはずです。

周囲とうまく築けない関係性のなかで、自分たち11人家族という小さな世界に閉じこもりたくなる気持ちはわかります。

なのでわたしはそれが彼らの性質と思っていたので挨拶無視などほぼ気にしてはいませんでしたが、アイコにしてみれば、自分が好意を抱いている大人(わたし)と本当はいちばん自分を愛してほしい父親の関係性が微妙にうまくいってないように見えたことは、きっと傷つくような出来事だったのかもしれません。

アイコは父親の前では、わたしのほうに寄ってこなかった、というか寄って来れなかったのだと思います。

子どもなりに空気を察してるんだなあ、と思いました。

桜が散り、アイコは少し大きくなりましたが、それでも毎日わたしと息子を待ち構えているのは変わらず、時には保育園の近くの公園でアイコに遭遇することもありました。

アイコは友達と遊ぶというより、なんとなく公園に来ては知り合いを探してウロウロしてる感じでしたが、そんなときにわたしを見つけると、

「あっ!!ねえ、こんなところで何してるのよ!!」

と嬉しいのか怒ってるのかよくわからない叫びとともに駆け寄ってきました。

わたしはわたしで保育園のママ友や息子のクラスメイトの幼児たちとの付き合いにいっぱいいっぱいで、アイコの相手をあまりしてあげられませんでした。

というのもアイコの相手を始めるとすべての意識を彼女に向けることになってしまうので、公園内でいちばん肝心の息子の監視ができなくなってしまうからです。

渇愛する子どもはそれくらいに他者から大量のエネルギーを取ろうとします、それはもう、本能としかいいようがない。

でもアイコの気持ちもわかりました。だからベンチに座って息子を見てるときに突然アイコがわたしの膝の上に乗って、強く抱きついてきたりしても、目だけは息子から離さず数分は付き合ってあげることにしていました。

この子は、まともに育つだろうか・・・と余計な心配をしても仕方ないのですが、アイコが可愛い反面、執念の塊のようにしがみついてる彼女に戸惑ったのも正直な気持ちです。

じょじょに顔を見ると「アイコきた・・・」とやや構えるようになりました。

朝も、たまたま小学校に行くアイコと一緒の時間に出くわしてしまうと大変です。

アイコはさっと息子の手をつなぐと、そのまま家から小学校の門まで離してくれないからです。

小学校は保育園の方向と同じなようでやや違うので、朝急いでる身としては遠回りして小学校まで付き合う羽目になるわけです。

帰りに会うのはかまわないけど、朝はきびしいな、と思ったわたしはそれから家を出る時間を少しずらしたりして、いろいろと気を遣いました。

夏、いつものようにスーパーへの道を歩いてると、カートの車輪のけたたましい音がうしろから近づいてきました。

見なくてもダイナミックママとわかります。

しかし振り返ってわたしは再び唖然としました。

いつもカートを押してるはずのダイナミックママにかわって子どもたちがカートを押していて、なんとダイナミックママはベビーカーを押しているのです。

なんと、ダイナミックファミリーに、10人目の子どもが誕生した!!!!

12人も、いる!!!!

唖然としてるわたしとまたも軽く目を合わせつつ、ダイナミックママたちは通り過ぎていきました。

新しいベビーの誕生はめでたいことではありますが、アイコをさらにさみしくさせたのかもしれません。

ある大雨の日、ダイナミックキッズたちが車道で遊んでいるところに、アイコが丸裸で飛び出してくるのを目撃しました。

いくら子どもといっても女の子。幸いにもまわりには誰もおらず、すぐにわたしは声をかけました。

「アイコ!!何やってんの、だめだめ、ちゃんとお洋服きようね」

と言ってもアイコはヘラヘラ笑って逃げ回ります。

何があったか知らないけど、なんだかヤケになってるようにも見えました。

途端に後ろのアパートからダイナミックママの「獣の咆哮」みたいな叫び声が聞こえました。

雨音にかき消されてちょっと何言ってるのかわかりませんでしたがたぶん「服を着ろ」的なことだと思いました。

とたんにアイコは走ってアパートに戻っていきましたが、そのときアパートの廊下に、木のタンスとプラスチックの衣装ケースと収納ボックスが置かれてることにはじめて気がつきました。

だよねえ、12人家族の家具が、アパートの一室におさまりきるわけないよねえ。

ダイナミック一家にとっては、共用廊下も自宅の一部というわけなのです。

アイコは玄関の外にある収納ボックスからあたりまえのようにパンツとシャツをだしてその場で着替えはじめていて、わたしはホッとしたやらびっくりしたやらでなんだかとても疲れてしまいました。

生活はきっとギリギリなんだろうな、と思いました。

その頃から、笑って見守っていられたダイナミックパパの怒号にじょじょに棘がこもるようになり、ダイナミックママも新生児の育児でヘトヘトなのか、毎日ヒステリックにわめきちらすようになりました。

アイコはだいたい躁状態で、相変わらず可愛いところはあるものの、次第にわたしは彼女に絡まれる時間が長くなるなどしてきたため、わたしは彼女のストレスの矛先がうちの息子に向けられないかちょっと心配してしまいました。

民主党の子ども手当がスタートしたのは、そんなときでした。

月額26000円、所得制限を設けず、子ども1人につき一律配られるというあの子ども手当です。

ほんとに短い期間だったしもう10年も前のことだからわたしも記憶が薄いですが、初回は半額の13000円だった気がします。

正直言って、とてもうれしかったです。

たった1万2万でも、あるとないとでは大違い。

たとえば赤ちゃんがいる家庭ならオムツやミルクは必ず消費しますが、13000円でもほんとに助かるし、26000円ならだいたいカバーできます。

幼児なら小学校入学のための貯金に回すこともできるし、もしくは毎月ちょっとした習い事にも使えます。

バラマキと散々叩かれたけど、わたしは子どものためのお金は現実に役に立つありがたい政策だとあのときは心から実感しました。

「子どものことでお金の心配をしなくてすむ」ということは、何よりも親の精神のいちばんの安定になります。

さて、ダイナミックファミリーですが、10人子どもがいるわけで、10万3000円がもらえるはずです。

わたしは他人事ながら、本当に良かったな、と心からホッとしました。

それだけコンスタントに毎月もらえたら、確実にもっと広い家に引っ越せます。

もしくはいまのアパートのままでも、何もしなくても一年で156万貯められる。

これが26000円なら、毎月26万で、一年300万以上の貯金。

三年で900万以上、十年がんばれば頭金としてとても無理のないローン計画で一戸建てが買えるかもしれない。

とにかくもう、ぜんぜん違います。

それなら子どもが10人いても未来に希望が持てる、ダイナミックパパとママも精神的によゆうがもてる、すなわちアイコがもっと幸せになれるというわけです。

はじめての支給日。

たまたま外に出ると、アパートからダイナミックパパとママと子どもたちが、ゾロゾロと出てくるところでした。

ダイナミックパパは、いつものしゃがれ声で「何食べたいんだ」と子どもたちに聞いていて、子どもたちが次々と「ハンバーグ」「お子様ランチ」と言う声が聞こえてきました。

ああきっと、今夜はみんなでごはんを食べに行くんだな。

そうだよねたしかに、家族そろって外食なんて、彼らにはほとんどなかったのかもしれない。

毎日スーパーからカートを引きずって帰ってきたダイナミックママも、今日だけは家事から解放される。

お金って本当に人を救うんだな、とわたしはそのとき彼らの背中を見て思いました。

わたしはあの夕方の光景が、12人でファミレスに向かって歩いていく彼らのことが、忘れられません。

お金で幸せが買えるのか?といえばそうとも限らないし、しかしあると助かるお金というのは必ず存在します。

そして実際幸せなんてものは、ほんとにちょっとした意識の違いなのだと思います。そのほんのちょっとが、たったの13000円で実現できた。

お金を活かすとは、こういう使い方のことを言うんじゃないか。

しかし子ども手当は財源がないとか詐欺に使われるとかしつこく叩かれ、当時野党の自民党から散々攻められ、そうしてるうちに311が起きて、結局民主党政権も終わって、子ども手当は復興支援のためという名目で打ち切られました。

あのとき子ども手当の予算は5兆円だったそうです。

オリンピックだ溶けた年金だと信じられない政治を見てきたせいか、なんだか少なく感じますね。

いま、さらに消費税が上がり、同じ金額で戦闘機を買わされようとしている日本。

とても悲しい気持ちになります。

あのあとすぐわたしたちは引っ越しました。

ほどなくしてダイナミックパパたちが住んでいたアパートは老朽化のためか取り壊されて、更地になっていました。

あれから10年、もうそんなに経ったのかと思います、アイコはいまごろどうしてるかな。

きっと可愛いティーンエイジャーになってると思います。

もしアイコが結婚して日本で家庭を持つことがあれば、そのときこそ子どもと母親を大切にする社会であってほしいです。

そのために、どんなにはかない一票であったとしても、わたしは来週もまた願いを込めて選挙に行こうと思います。

#日記 #エッセイ #選挙 #子ども手当 #人生 #親子関係 #近所






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