新潟の旅
夫の代休を利用して、家族で新潟に日帰り旅行に行きました。
新潟は、自分にとって少々特別な場所です。
まあ、簡潔に言うと、結婚を申し込まれた場所なんですけども、そんなわけで若いときの良い思い出がいっぱいつまっているところが新潟です。
ほんとは夫婦二人で行こうと思っていたのですが、直前になってやっぱり息子もいっしょに連れていきたいと思い、中学校はお休みして三人で向かいました。
夜中に家を出て、首都高からは東京の夜の灯りと、スカイツリーが見えました。
その景色を見ていたら、自分のここ10年くらいの人生をすごい思い出して、10年前の自分がいまの自分を見たら、人生が激変しすぎててびっくりするだろうなあと思いました。
ほんとにこの10年は、自分の人生の主導権を自分の手の中にしっかりおさめるために格闘し続けた時間でした。
反省点はたくさんありますが、10年、がんばったな自分、とたまには自分を認めてみることにしました。
ダンナは眠くなるから嫌いと言いますが、わたしはトンネルが好きです。
くぐるまえとくぐったあとで、別世界がひろがっているからです。
関越トンネルは首都高トンネルが全線開通するまで、ずっと日本最長のトンネルでした。
関越トンネルに入ったところで、ちょうどひろみさんのラジオ「あたりまえの世界」の時間になり、さわやかな音楽とひろみさんの独り語りが流れてきて、それを二人でじっと聞きながら過ごしました。
彼はわたしのやっていることを常に広い心で見守ってくれます、それがいちばんよいところだと感じます。
そして最近は、わたしが良いと思う人や場所にも、一緒について来てくれることが増えました。そしてじつはそれが一番うれしいことです。
夫婦で同じ意識でいられることは、結婚しているうえで最も大事なことだと思っています。
今回もいきなり「日帰りで新潟に行きたい」と言ったら、文句ひとついわず、積極的に車を出してわたしたちを連れてきてくれたことも、本当にうれしいです。
最初からこんな風な二人ではありませんでした。
未熟な部分でぶつかり合いながら、お互いに時間をかけて努力してやっと得た関係性であり、そういう意味でも、かけがえのない人だと今はすごく思っています。
湯沢からすぐ、十日町というところに、美人林というブナの原生林があります。
偶然ネットで見かけて、あまりにもきれいだったので、どうしても行ってみたいと思って来たのですが、それはそれは気持ちの良い場所でした。
山の奥に白く輝くブナの林が急に広がっていて、遠めにも明らかに特別な場所という感じがします。
ここは昭和の初め頃、木炭を得るために樹々がすべて伐採され一時は丸裸の山になりました。
でもあるとき突然、この山のブナの若芽がいっせいに芽生えていまの姿になったそうです。
森は明るく、地面はブナの葉で醗酵したコルクのような柔らかい土で、とても歩きやすかったです。
元は人間の伐採からスタートした森なので、完全なる原野そのものというよりは、人間と自然のコラボレーションした場所といえるかもしれませんが、人がその美しさに気づき、良い意識で前向きに自然を保存したり、時には手を加えてあげることで、こんなにもすばらしい空間が生まれるのだ思いました。
人の持つ創造性は、すごいです。
それは使い手の意識次第で、悪魔の所業も、神の御業も可能にする、万能の能力なのだと思います。
静かな森を歩いていたら、ココココ・・・と大工作業みたいな音が聞こえてきました。
音の発信場所を探していくと、一本の樹の上で、キツツキが穴を開けていました。
スマホの拡大画像では限界がありますが・・・
キツツキなんて絵本か図鑑のなかでしか見たことがなかったので、ほんとにクチバシで穴をあけている・・・!!とかなり驚きました。
キツツキは人間になれているのか、かなり近寄っても、逃げることなく穴を開け続けていました。
自然は意味のあることしかしない、だからキツツキが樹に穴を開けて生きるように進化したことには、全体にとって欠かせない重要な役目があるのだと思います。
ブナの木の根元には、キツツキじゃなくて木が自力であけた穴もあります。
満月、もしくは新月とか、何か特別な星の配置が決まった時、人知れず異世界につながるような、大変に魅力的な穴がいくつもありました。
妖精やドワーフは、きっとこの穴をポータルにして、この世とあの世を行き来している、と古代の人々が想像した気持ちがよくわかります。
本当に、自然の中は発見がたくさんで、とても元気が出ます。
自分の本来持っている神聖さとか、そういう部分にすぐ意識が合うのは、景色を眺め、歩いているうちに、自然も自分も生命であるという点にすべてが集約されていくからだと思います。
美人林から帰ろうとしていたら、清津峡という観光地の案内を見つけたので、立ち寄ってみることにしました。
大きな谷にそって、美しい川が流れていました。
その谷のなかをトンネルが通っていたので、入場料を払って中に入ってみることにしました。
全長600m以上もあるトンネルは、場所によってカラフルかつダークなライトが付けられていて、視界がややよくない上に、傾斜が微妙にあるので、歩いてるだけで三半規管がおかしくなります。
それがまた、トンネルを歩くうちに変性意識になっていくような気がしておもしろかったのですが、トンネルの各所には、峡谷がのぞけるように穴が開いていて、それがまた近未来的なデザインになっていておもしろいのです。
最終地点は90度に曲がるような構造で、谷を正面から見下ろせるようになっていました。
観光名所と現代アートを組み合わせると残念な結果になることがほとんどですが、ここは絶妙に自然と建築がマッチしていて、とても良かったです。
人間の意識が自然を尊重しながらクリエイティブな作業をすると、良いものが生まれることをここでも見せられた気がしました。
両岸の岩は、六角柱です。柱状節理といって、太古の昔にマグマが溶岩が固まる時にハチの巣のように亀甲パターンを形成したものです。
南東に傾いた美しい地層がおよそ8キロも続いていて、日本三大峡谷のひとつに選ばれているのだそうです。
自然は本当に、すごいですね。
時間も空間も人間のそれを圧倒的に超えて、ただそこに存在しているだけなのに、それが放つ情報量というか、そこから人間が受け取れるものは無限にあります。
畏怖の念、というのは、人間が謙虚であり続ける上で、とても大切な意識ではないかと思います。
新潟には気まぐれで来たようなものでしたが、予想以上に良い旅になりました。
人生にはときどきトンネルみたいな時期がありますが、それを抜けると新しい世界が広がっていて、そこでまた成長できる、そのくりかえしみたいなところがあります。
思えば人間は、その最初からトンネルをくぐって人生をスタートさせているようなものでした。
こうして記録として書くまで気がつかなかったけど、何か今回は、穴とトンネルという象徴が旅のあちこちにちりばめられていました。
やはりときどき、自然の中を旅すると、良い発見がありますね。
これもまた出したものが返る、だから、自分の意識の何かなのだと思っています。
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