ダンスへの情熱:遅咲きからの飛躍
皆さん、こんにちは。今日は私のダンス事始めについてお話しします。
この記事を読んで「やりたいことがない」と思っていた方が「何かやってみようかな」なんて気持ちになって頂ければ、とてもうれしいです。
私が初めてダンス教室の扉を開いたのは、23歳の時でした。
OLとして働きながらのことです。ダンスを生業にするには、遅すぎると言われる年齢でしたが、当時の私は自分探しの旅を開始したところでしたので、とにかく行動!!と自分で自分の背中を押していきました。
とはいえ、自分には、やりたいこともなければ、得意なこともない。
会社の歯車人生は嫌だけど、何していいかわからない。途方に暮れました。
そんな時に独自に考えた「メモ書き」が役に立ちました。
「今の自分より10歳若かったら、何をしたかっただろう?」でリストを作ったのです。リストにあったやりたいこと「ダンス」をまずは始めた、というわけです。
最初は、日本で初めてできたダンス専門学校に1年間通いました。思いは引き寄せる、という言葉の通り、10歳若かったらやりたいことリストを作っていたら、会社の新聞広告に「日本初のダンス専門学校」のチラシがあったのです。
1年間、夜間コースに通い、NYのジュリアードという優秀なアート学校を卒業した先生のお弟子さんにアメリカンモダンダンスを習いました。卒業後は、スポーツジムのバレエクラスを渡り歩きました。
大人になってからの習い事は、体が思うように動かないもどかしさを教えてくれました。しかし、私はもどかしい体が少しずつ動くようになっていく実感に、夢中になりました。体の動きの練習だけでなく、独学で、動く体の仕組みを学ぶことにもアプローチしていきました。
もし、私が小さい頃から習っていたら簡単にできるであろうことことも、大人になって、硬くなった頭と体で学ぶ大変さを経験しました。
しかし、この経験が今の私につながっています。後に、トレーナーとして指導する際、できない人がどこでひっかかっているのか、を見つけ、できるような情報を与えていくことが、得意になっていきます。自分ができなかったから、わかるのです。
だから、やってみて、できない自分がいたとしたら、その体験はいつか、必ず誰かの役に立つと信じて、諦めずに乗り越えていってください。
諦めなければ、乗り越える道は、必ず見つかります。私がそうであったように。
そして、体は年を重ねるごとに老化していきますが、何歳になっても、いつからでも、なりたい自分の体を作ることができるんです。
その延長で、私の夢であった「ダンス界隈で生計を立てる」という夢も、20年かけて実現することができました。普通は10年と言いますが、私は覚悟と根性がなかったので、人の倍、時間がかかりました。でも、あきらめずに続けていったお陰で、実現したのです。
体づくりとは、ただ筋肉を鍛えることだけではありません。自分が何をしたいのか、どうなりたいのかによって、なりたい体の最終形も異なります。
皆さんも、まずは目標を設定してください。どんな体になりたいのか、そしてそれをもってどんな人生を送りたいか。その目標に合わせた体づくりと行動が、成功への鍵です。
目標設定と、あきらめないこと。そして、目標は自分の成長とともに修正していくこと。このお話はまた次の機会に。
私の経験が、皆さんの人生に新たな光をもたらすことを願っています。ありがとうございました。
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