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成長だなんておこがましい

   最近俺は前向きに物事を考えられるようになったな、自分は成長したなと勘違いすることがよくある。

   実際、以前なら乗り越えるのにかなり時間を要していたものも、少しの時間があれば解消できるようになった。自分のモヤモヤの対処法をいくつか編み出すこともできた。でもそれは成長とはまた別のことだろう。今たまたま自分を取り囲む環境や物事がうまく運んでいるだけで、今たまたま自分にあうリラックス方法があって、今たまたまそれに注ぎ込める自由な時間があるだけだ。

   最近は中華料理屋巡りにはまっている。高級じゃない、住宅街の中にぽつりとあるような中華料理屋巡りだ。他人に自分を否定されても、わかったような口を叩かれても、中華料理を食べればひとまず大丈夫だ。いつも通りの少し雑な接客を受ければ、「こんなもんでいいんだよな。」と思えるし、脂ぎった青椒肉絲を食べれば安定の美味しさと不確かな健康マインドでかなり満足できる。そして会計の時におばちゃんが笑えばこちらも自然と笑顔になるわけだ。かなり簡単なリラックス方法である。いつもお世話になっています。

   しかし、この方法も長くは続かないだろう。この中華もあの中華もずっとそのままでいるわけではない。俺が中華に飽きる可能性も捨てきれない。いや、その前にまず胃が弱くなって脂物がだいぶ厳しくなるだろう。俺は持病もあるし、これがまた悪化すれば中華だけじゃ乗り切れないかもしれない。仕事が忙しくなって、中華に行く気分にすらならないかもしれない。

   未来になにかを失う可能性を考慮することをネガティブだと考える人もいるかもしれないが、別にネガティブなんてことはない。むしろ逆で、今この状況に感謝している。全部たまたま僕にとっていい環境が、いや、僕にとって都合のいい環境があるからだ。前向きに考えられることは自分の力ではなく、自分にとって都合のいい環境があってこそのものだ。そこを忘れてはいけないと思う。だから自分が成長したから前向きと考えるのはおこがましいと思える。

   そんな感じだ。中華がおいしく食べられるうちにおいしく食べておきたい。できなくなったら、またるろうにのようにリラックスできる場所を探しに行こう。出会いが来るのを歩きながら待とう。幸せに感じたら感謝しよう。そう思っている。

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