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夢が叶っても

「外国語を使う職業に就く」という夢がこの4月に叶った。先輩の指導を受けながら英語でメールを書き、ドイツ語で電話をする。こういったことをするためだけに1年間ドイツに留学し、帰国後も英語をひたすら勉強した。病気で入院してる時も、洋楽の歌詞をノートに書き写して分からない言葉を英英辞典で調べてメモした。努力はかなりしたつもりだ。その努力が芽吹いた。

この現象を幸せに感じることはない。

  そもそもドイツ語や英語の勉強を始めた理由は酷くつまらない理由だ。周りで誰も話せない言語で話せば、誰も僕に口出しできないだろうと思っていたからだ。世間的に良しとされる英語学習と、ヨーロッパで武器となるドイツ語を身につけておけば家族から離れても生きていける気がした。今まで金をかけてきたことに長男から説教をされることもない。次男から私生活や態度に指摘を受けることもない。家の前の階段下で父親の「あいつはまだ〜」なんて話を聞くこともない。

   ただ自由になりたくて、人権のようなものが欲しくて、頑張って前を向いて生きていることを認められたくて努力だけは続けた。認められたのかはわからないが、とやかく言われることはないし、なんなら連絡すらない。正直英語やドイツ語の勉強が好きなわけでもない。やや燃え尽き気味である。

   ドイツの作家フランツ・カフカは『変身』という作品で有名だ。商社マンとして働く青年グレゴール・ザムザがある日不愉快な夢から目が覚めると虫になっていた話だ。グレゴールは虫の姿から人に戻ることなく、家族から見捨てられ惨めに死んでいく。

   カフカはこの『変身』という作品に対し「変身は恐ろしい夢だ」と語る。ちなみに同時期に現れた精神学の始祖であるフロイトは「夢は押さえつけられた願望だ」と言っている。

   少しややこしいが、要するに「働かずにぐうたらしている虫の姿」はカフカの夢であったし、叶ったところでその先の展望がない虚無的なものだったのだ。

   ここまでどうしようもない話のように聞こえるが、このあとカフカは実際に仕事を辞めて文学に打ち込み、世界的な文豪の一人にまで成り上がった。カフカは夢を叶えた後にどう感じたのだろう。

    おそらく彼はその後また新しい夢を見たんだろうと思う。夢が終わったら、また新しい夢を見る。そしてまた新しい夢を。

    中学校の頃に国語の先生が言っていた。人生はマラソンみたいなものだと。初めは少し足を前に出してみる。そしたら目の届く範囲に目標を設定して、そこまで走る。着いたら休憩しながら、また目の届く範囲に目標を設定して走る。休憩して、目標を決めて、走る。その繰り返しだと。

   夢から目が覚めたのなら、また新しい夢を見なくてはならない。夢がないのなら、また新しい夢を探さなくてはいけない。コツコツやってるうちにまた一歩成長しているのだろう。正直、外国語の学習に興味はないが、外国語があったからこそ出会えた人達が大勢といる。会ったらすぐ笑顔になるような友達がたくさんいる。僕たちはみんな燃え尽きそうだとしても、辺りを見渡して、また目標を見つけて走りださなければならない。「死ぬまで生きる」ではない。また目標や夢を見つけることができるその時まで今を生きようと思う。

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