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第170回芥川賞候補作品についてー受賞予想と感想ー

まずはじめに、謝罪しなければならない。熱量の配分ができず、書き手が不能なために非常にバランスの悪い、ムラのある記事になってしまった。書かれたテキストの分量は、候補作品に甲乙をつける意図があった訳ではないし、候補作品すべてに対して敬意を表します。今回も楽しませてくれてありがとうございます。そしてごめんなさい。(でも私は書評家でも作家でもないので、どうぞご容赦くださいませ)
なお、『東京都同情塔』の「解釈と感想」部分については、ネタばれになる可能性もあるので未読の方や影響されたくない方は飛ばしてください。

順不同


『猿の戴冠式』小砂川チト

感想

「しふみ」が「シネノ」と強化ガラス越しに「わたしたち」になるまでは、さすがに無理があると思いながら読み進めていたし、しふみの失態が明らかにされてからもまだ、だからと言って猿と人間が、ねえ? という感想だったのだが、シヅエとシネノが、車道を走って逃亡するシーン、わたしである「しふみ」が並走して笑い合うシーンあたりから胸に迫るものを感じ、この2匹プラスひとりの逃亡がずっと続けばいいと応援している自分に気づいて、あきれた。
「わたし」から他者「あなた」を含む視点へと成長し、わたしたちへつながり、ともに歩行する。この膨らみ具合がすばらしい。読者を欺くかのごとく「わかっているようで、実はわかっていない」ように見せかけるワザを発揮する作者の存在が「主人公の語り草」に垣間見られるも、『家庭用安心坑夫』(第65回群像新人文学賞受賞作であり、第167回芥川賞候補作)を思い出させて、ほくそ笑む私であった。本作でも作者は主人公にトラウマを与えて、妄想を必然にする。ただ、「わたし」の競歩大会の失態と仄めかされる親の過干渉が、このおかしな現象を引き起こすべく引き金になったとするのは、少々弱いのではないかと思われた。蓋然性があるかないか。妄想に走るとき、物語はいくら暴走しても、作者には慎重な姿勢と配慮が必要だ。
とはいえ、前作『家庭用安心坑夫』では、主人公に幻覚が起きるきっかけ(トラウマのようなもの)があまり提示されていないのに、物語はほとんどが妄想的でイッちゃってる感が突き抜け、そこが面白かった。比べて本作は、半分リアルな世界に足をついている。にもかかわらず「しふみ」は、前作以上の突き抜けをやらかす。とすればそれに見合う、よりインパクトのあるきっかけが必要だったのではないか。死とか病とかと大げさなものを引きだすのは違うし、そこに何を持ってくるかはとても難しいと思われるが……
しかしながら、人間の競歩と猿の二足歩行を結びつける着眼点は良かったし、猿の人間に対する視線もいろいろな意味で面白く、巧みな語りによって不思議な世界に誘われる。
シヅエちゃん、長生きしてくれ。

『迷彩色の男』安堂ホセ

感想

前作『ジャクソンひとり』(第59回文藝賞受賞作であり、第168回芥川賞候補作)に比べると、テキストの裏に存在する主張がやや弱めと思われる。ラストに向けたグルーヴ感が前作と似たような波であると感じた。抑制の効いた切れのよい文章を読みつつ、書かれないこと、書き過ぎること、について考えさせられた。イブキに対する思いがよくわからなくて、なかなか作品に入り込めなかったが、これは日常とかけ離れたフィクションだ、映像をイメージしながら読もうと試みたら、痛みやグロテスクな表現とも距離を置くことができ、楽しめた。
冒頭「ブルースクリーンのような背景に〈FIGHT CLUB〉というロゴだけが周囲よりも薄い青で浮いている……」を始めとして「青い色」を頻繁に登場させ、肌の色の細かい描写、ウイルスに見立てた痣とともに作品に不穏な影を落とす効果を発揮している。
迷彩色の男(色を変えて人を惑わせる)が、もし「自分」だとしたら……
無声映画を観ているとしたら……
やはり私は誰がイブキをやったのか?という点に意識がいって、すなわち、イブキをやったのは「自分」なんじゃないのか?と勘ぐりたくなってしまう。
安堂ホセの作品は、純文学の小説として読むより、映像になったものを観てみたいと思わせる。

『Blue』川野芽生

感想

最初いきなり数人が会話するので個別化できず苦戦した。語り手が真靑だとわかったのは、少し先に読み進めてからだった。後半、登場人物たちが年を重ねてから、俄然面白くなった。少々複雑な真靑たちの関係や心情を表すメタファーとして、「人魚姫」を取り上げたのは秀逸だ。そのため、真靑のトランス(trans)の立場が理解され易くなっているし、共感もできた。
葉月の将来(共依存)が不安ではあるが、さりげなく書かれているし、ふられちゃうくだりも変に重くせずに、やり取りが軽いし(葉月は「朝ちゃんのことを最初女の子だと思っていた」と話す)、オチみたいになっているのも好感を持てた。
滝上が饒舌だ、と伏線を張っているが、それにしても流暢に、難しいことを語りすぎるのはややペダンティックで鼻についた。小説というより説明文を読んでいるように思えてしまった。
が、しかし、読み終えてみれば私の中に彼らへの愛着が芽生えていた。

『アイスネルワイゼン』三木三奈

感想

「噂の三木三奈」作品を初めて読んだ。かつて芥川賞候補作品の中で、これほどページを繰る手が止まらず面白いと思えた作品があっただろうか。
会話が多いから、原稿用紙220枚もあっという間に読み終わる。読み始めてすぐに、歯に衣を着せない主人公を始めとする登場人物たちの言いたい放題に心を持っていかれる。膨大で高密なテキストの中で「日本語は嘘を重ねてきた」と主張した『東京都同情塔』に対して、真っ向勝負を挑むような爽快さがある。これこそ人間! これこそ表と裏! 上っ面でその場を取り繕い嘘をつくけど、本性だって駄々洩れです、人間の裏側まで心おきなく見せつける。
読みながら「モノローグ」というキーワードが浮かんだ。モノローグとは「映画や演劇などにおける演出手法で、登場人物が誰に向けて話すでもなく、自らの心境などを吐露すること。また、終始心境の吐露だけで構成されたひとり芝居や小説の形式(実用日本語表現辞典より引用)」を意味する。(小説分野におけるモノローグの代表作は、湊かなえ『告白』や、小説推理新人賞を受賞した悠木シュン『スマートクロニクル』⦅のちに『スマドロ』⦆などがあげられ、どちらもスリリングな秀作)
なぜ、本作を読みながら「モノローグ」という言葉が浮かんだか? それはきっと、三人称の語りを採用しているにもかかわらず、登場人物すべての心の内部が丸見え状態になっているからだろう。その点からも、作者が間違いなく凄腕の書き手であると断言できる。
とにかく読んで!と言いたい。「論より証拠」な傑作。


『東京都同情塔』九段理江

大いにハマった作品。まず、あらすじを書いた。次に感想。私個人の勝手な解釈なので、的を得ていないとしても、未読の方や影響されたくない方は飛ばしてください。本稿の最後に受賞予想を書いた。

あらすじ

現実の世界ではアンビルトとなったザハ・ハディドの新国立競技場が建ったとされる2026年~2030年あたりの仮想的物語。社会学者で幸福学者でもあるマサキ・セトが提唱するホモ・ミゼラビリス(犯罪者は同情されるべき人々であり、幸福を平等に享受するべき)という新しい概念を取り入れた東京シンパシータワー、別名「東京都同情塔」が牧名沙羅による設計で、建設されるが、牧名は建設反対派から逃れるように一線から身を引きホテル住まいをしている。一方、若年層を中心に支持を集めてきた幸福学者マサキ・セトだったが、塔のオープニングの日、男に殺害されてしまっている。塔の職員として勤務する東上拓人によって、幸福になれる言葉だけを使わなければならないという塔生活におけるルールがあったことが明かされ、言葉狩りが行われていた事実が判明する。レイシストとされるマックス・クラインのインタビューに答えた牧名沙羅は「東京都同情塔」建設を後悔していると思うものの、それは本心なのかAI-builtに言わされているのか最早わからない。彼女は未来を幻視するが、それは東京都同情塔の崩壊だった。

解釈と感想

以下の記述は、全く個人的な解釈。場合によってはネタばれになり得るので、目にしたくなければ、本稿最後の「受賞予想」へ飛んでください。





①拓人が書いた伝記

1回目に読み終えたとき、何だかめちゃくちゃな話だと思った。それに、拓人の言葉に対する感覚が揺らいでいる理由がわからないし、彼が書いていた伝記ってどんなものなのだろう? と疑問が湧いた。しかしながら、この作品には大きな仕掛けがなされていた。作品に対する見方ががらりと変わった。読後感が大転換したきっかけは、2回目を読んだ直後、冒頭部分に覚えた違和感だった。引用する。

バベルの塔の再現。シンパシータワートーキョーの建築は、やがて我々の言葉を乱し、世界をばらばらにする。ただしこの混乱は、建築技術の進歩によって傲慢になった人間が天に近付こうとして、神の怒りに触れたせいじゃない。各々の勝手な感性で言葉を濫用し、捏造し、拡大し、排除した、その当然の帰結として、互いの言っていることがわからなくなる。喋った先から言葉はすべて、他人には理解不能な独り言になる。独り言が世界を席巻する。大独り言時代の到来。

『東京都同情塔』冒頭部分

この冒頭はこれから始まる物語をすでに俯瞰してしまっていて、腑に落ちないものを感じた。この作品は「東上拓人による女の建築家の伝記」という体(設定)を与えられていると仮定することができる。そうであれば拓人の感覚の揺らぎ(牧名は言葉の捉え方において2種類の人がいるとして、木の葉の描写によって説明しているが、拓人はその2つの感覚を行き来している)の意味が分かる気がした。さらに次に引用する拓人の語りの部分も、仮定を確定するに足る要素になっている。時制不明で不可解な文章が綴られているのだ。塔が建設される前、夜の新宿御苑に牧名と拓人が侵入して、酔いつぶれ倒れた牧名に呼びかけると、拓人の顔にコンクリートの元になる砂が降りかかってくるシーンなのだが……


塔の外にいた頃の記憶は夢と区別がつかないほど曖昧になって、曖昧なのは単に記憶力のせいだけではなくて、どちらが外部で内部なのか、どちらが過去で未来なのか、かつてどんな言葉を使っていたのかも、忘れようとしているみたいだ。

『東京都同情塔』p.48上段

実はこのシーンのあと(掲載誌『新潮』p.59の下段)に、引用部分は拓人が書いている伝記の一部であることが示されている。それにより、本作品が拓人の手によるものであることがいよいよ明らかになった。
ではなぜ、拓人はAI-builtに頼ることなく「長い文章を書いたことがないから苦労して」まで、東京都同情塔を設計した建築家牧名沙羅の伝記を書いたのか? 
この質問にも回答を与えることは可能だ。拓人は、自分の生い立ちから母親を良く思っていないと打ち明けている。牧名にも秘密にしているらしいが、彼は母親に23回殺され(中絶され)そうになったというのだ。だが同時に、母親と年齢が同じくらいの牧名に向かって母と呼びかけそうになることからも、母親に対する原初的な感情(愛着といったようなもの)が根底にあるらしいことがわかる。この拓人の母親は、幸福学者マサキ・セトの書籍に犯罪者の一例として取り上げられているA子と同一人物だ。その上、拓人が母に向けて「ルールは守るべきなんだよ」と書いているので、同情塔の住人であることも想像できる。だとすれば、牧名に伝記のことを仄めかされたからだけでなく、東上拓人自身にも、彼女の伝記を書く理由があるとするのが妥当だろう。それは、同情塔を建てた牧名をある意味「恨んで」(ラストに登場する「男」が拓人ではないかというのは私のミスリードか?)いるからこそ、であり、あるいは、大失敗の塔を建設し、自らも頭でっかちの塔として建つことになった彼女に同情を寄せているから、であるかも知れない。

②作者の意図

『東京都同情塔』は「AI」という画期的なツール(テクノロジー)に対して勢いづく世の中を揶揄する作品ではないだろうか。AI-builtのようなしゃべり方をする牧名沙羅を、拓人が同情するというくだり(2か所ほど)があるが、作家九段理江は、AIに主導権を握られるかも知れない未来に警鐘を鳴らそうとしているのだ。何という大きなテーマに挑んだのだろうか。この壮大な作品の前で、私はしばらく呆然としてしまった。
塔の中で言葉狩りが行われていたと明かされて以降、「内側と外側の言葉(外側とはAI-built由来だったり、外来語)」が重要なキーワードになってくる。テキストを巧みに利用し、小説家は猛威を振るう。流暢な語りに、読み手はどんどん飲み込まれていく。その勢いは、毛穴を開かせるシャワーヘッド、マックス・クラインの体臭……など、無駄に思えるそれらの描写すべてにも細やかに意味づけされているのでは?と思わせる。
勢い止まらず、レイシストであるマックス・クラインの記事を利用して日本人の国民性を問題視、日本語は嘘を積み上げてきた言葉ではないかという極論まで私たちに突き付ける。ある意味、おっしゃる通りと思わざるを得ない面もあるけれど、とにかく、繰り広げられる言葉の応酬に圧倒された。

③塔の崩壊によって見えてくるもの

幸福学者は、同情塔から逃げてきたと想像される男に、自身が展開してきた幸福論と矛盾する言動をした(嘘をついた)ために、その男に殺されてしまう。牧名沙羅もまた散々だ。彼女は東京都同情塔を建てるにあたってきちんと「自分と向き合う」ことをしなかったために、本心から同意できないコンセプトを受け入れてしまった。独占欲が強く意志が弱い彼女は、自分の内側からか外側からかわからないAI-built的な言葉に流されて東京都同情塔を建ててしまった。けれどその後悔でさえ、本当に自分の内側にある感情なのか分からない彼女には、私たちも同情せざるを得ない。若く美しい男を侍らせ裕福な暮らしをしていると思われた女の建築家は、どうやら羨むべき人物ではないようだ。
ラストでコンクリートに固められた彼女には「すべての言葉を詰め込んだ頭」がついている。まさしく彼女は、塔の上部に、知識が詰まったライブラリーを搭載した同情塔なのだ。

拓人自身の中に存在していた検閲者は、AI-built由来ではない「拓人君由来の文章」でもって「僕の目を通した建築家の女の人=東京都同情塔」を書き上げさせた。
それは救いなのか、後退なのか、判断するのは我々にゆだねられている。

第170回芥川賞受賞作品予想

今回の受賞作品を予想してみよう。今回は『東京都同情塔』がとても強い。ただ前回『ハンチバック』がひとり勝ちしたことを鑑みれば、2回続けて1作品のみ受賞というのは、勿体ない。となれば、『東京都同情塔』と『猿の戴冠式』、あるいは『東京都同情塔』と『アイスネルワイゼン』といった2作受賞もあるかも知れない。
しかしながら、『東京都同情塔』は、1作品でも多く受賞させたいであろう出版界の事情を押し切るだけのパワーがある作品だと思うので……



本命(勝つ確率が一番高そう)=『東京都同情塔』九段理江

対抗(勝つ確率が二番目に高そう)=『猿の戴冠式』小砂川チト 

穴(あまり高そうではないけど 
もしかしたら?と期待できる)=『Blue』川野芽生

私の脳内の検閲者により総合的に、すなわち熱量、技量、時代の潮流、物語性などなどを考慮して判断した結果だ。今回もすごい作品群が候補にあがったことを心から喜びたいし、「受賞なし」は絶対にないと思うので、どれが選ばれようと決定したら大いに祝福したい。
小説は素敵だ、みんな読めばいいのに!


万条由衣








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