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日々の雑感

モカ。すごい酸味。苦味より好きだから選んでるけど、ここまで酸っぱいとなんか違うなあと思いながら、コーヒーをすする。数十年ぶりに服用したパブロンSゴールドWがわずかながら効力を発揮しているのを感じている。

誰かが撮った文フリ会場の写真を見かけた。お目当てのブースに辿り着くばかりか、息を吸うのも大変そうな混み合い。「会いたい」より少し距離がある「会っておきたい人」の顔ともすれ違いで無駄足になり、あれ、と思っていた1冊が手に入らず、残り1冊!と見知らぬ人に声かけられてお金を渡したはいいけれど、これってと一瞬手に取ったものを見やる。運命的な出会いに違いないと思いたい。本当に「会いたい人」のまわりには人、人、人。その人人人は、「会いたい人」が自分よりも会いたい人かも知れないから黙って去る。ああ、持ち帰るものはカバンに詰めたものよりも重そうだ。

と妄想する。やはり自分には無縁な場所だと思う。誰かに会いたいわけじゃない。会って何とかなるものでもない。モチベが上がってもたかが知れている。創作についていろいろな話をしたいと強く思うけれど、創作は所詮孤独な作業だから、とにかく書くことが一番大事だ。

書きたい、と思う。4月、5月と全然書いてないからもう書けないかと思ったけれど、「書きたい」気持ちが膨らむ。これって何かな。胸のあたりが熱くなるっていうか、のどのあたりまで何かのかたまりが上ってくる感じ。それは小説を書き始めた三十代の頃の熱と大して変わりない。ただ、考えは変わった。小説に対する感想は人それぞれだから、最高傑作を書いたと自分が思っても、他人も良しとするだろうと期待しない方がいい。いや、期待するべきではない。ひたすら、最高を謙虚に書き続けるしかない。その先に何があるか、それは自分自身が責任を負う問題なのだ。何かがあるにしても、何もないにしても、人生の途上の話。すべてひっくるめて自分に含まれる。

今年もまた夕顔と朝顔の種を蒔いた。順調に育っている。夏に大輪の花を咲かせてくれることを切に願う。子どもと一緒で、あまり手をかけすぎるといけない。とはいえ発芽のときは、かたい皮に覆われたままで双葉を広げられない幾つかを針とハサミの先を使って切り取ってあげた。大風には目を瞑った。翌朝、茎があちこちに倒れかかりながらも無事であった苗たちはとてもたくましく見えた。大輪の花と出会う頃、きっとまたひとつ希望が消えるのだろう。消滅と同時に新しい何かが生まれていればいいな。

万条由衣

夕顔
朝顔



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