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日常まいんどふるねす⓪


会社を辞めて世間から離れてかれこれ1年半。
最近、「マインドフルネス」という言葉をいろいろな分野の人から聞くようになりました。
瞑想、禅、ハイヤーセルフなどいろいろな表現、探求の方法があるものだなと思っていたのですが、ちょうど数か月前にマインドフルネス講座というものを受けてきた友人がいて話を聞く機会がありました。
その友人が行ったのは体を意識する瞑想、食べ物を集中して食べる瞑想のようなものでいまいちわからなかったとのことでした。
瞑想のようなものなのかしら?と気になり、言葉を調べてみました。

mindfulnessとは今、この瞬間に自分の体、こころ、感情を意識する練習で、穏やかな感覚を作り出すと考えられているもの。

CambridgeDictionar

禅でも、ヨガでも、おそらく宗教や修行をするものではほとんどでてくるんではないでしょうか?
「いま、ここ」「而今(にこん)」「here and now」

わたしたちは常に、この瞬間を生きているんですが、
気が付くと、過去や未来のことを考えて
今この瞬間を感じることを忘れてしまいます。
それを意識的に今に注意を向けることで満たされていく。
満たされると、穏やかな気持ちになりますよね。

あれがないこれがないとなっているから、
未来に思いをはせる。渇望するんですよね。
あれをしてこれをして、あれを手に入れて、あそこに行って。

今に違和感があると
今度は過去に思いをはせる。後悔をするんです。
あーしていれば、こーしていれば。

そんなことを考えながら、
食事をするとほとんど味なんか感じない。

テレビを見ながらや会話に夢中になりながら
食べるものもそうですね。
集中していないから、
ついつい食べる量をあやまりますし、
感じていないから物足りなさを感じます。

見た目、香り、音、触感、味。
命あるものを自分がいただく。
料理になって自分のもとにくるまでに
多くの人を介していることへの感謝。

ただ目の前のことに集中するだけで
そのすべてを感じられるので、満たされます。

マインドフルネスってこういうことなんだと思います。

しかし、これだけ取りだたされていながら、
難しいと感じたり、よくわからないといったりする人が多い。

瞑想に関しても、同じようなことが言われますよね。
実際に、インドのアシュラム(ヨガ道場)で
瞑想を説明されたときステップややり方を聞いて難しいなと感じました。

先ほどお話しした食事の例のように、
本来は日常で簡単にできること。

しかし、それをむずかしいと感じてしまうのは
2つ理由があると思っています。

ひとつめは難しく説明しているから。
わかる人にだけわかる言葉で、表現で話しているから。

それって意地悪ではなく、
もともとは人間が普通にやっていたけど、
現代社会になるにあたってそれが薄れていって、
宗教の修行の一環でやるようになっていっただけなのかなと思っています。
修行している人たちはある一つのことを学んでいるので、
学者のような感じで共通の専門の言葉で話をして説明をする。
彼らの中ではとてもわかりやすいんですよね、きっと。

でも、現代のわたしたちがそれを聞くとむずかしー!!ってなる。

ふたつめは、
自分自身が本気でやりたいと思っていないから。

どんなことでもやりたいと思ったら、必死になりますよね。
しかし、聞いている限り、難しいと言って辞める人は
さほど頑張る気はなさそう。

それは悪いことではなく、
現状必要ないだけなんだと思います。
必要になれば、必死で取り組むことになりますから。

さて、わたしがこれからお話ししてくのは、
わたしの日常です。

おそらく、マインドフルネス
おそらく、瞑想
おそらく、統合
おそらく、祈り

これって意外と日常の中でできます。
なんならできていることもある。
ただ自覚していないだけで。

わたしの言葉、わたしの辞書で書いていくので
修行者のように難しいと感じる人もいるでしょうし、
今必要ない人はピンとこない場合もあるかと思いますが、
必要な人に必要な分届きますように。




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