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津和野にて流るる

朝から津和野へ向かう。四方を山に囲まれ、高津川と鉄道路線に貫かれたその町には、かつての活気を偲ぶかのように伝統が息づく。

町並みの保存が際立っている〈殿町通〉は只管に静かである。水路を埋める鯉の他はみな黙する。季節には葉の緑や水路脇の花菖蒲がこれでもかと鮮やかに輝くそう。無機質に整えられた路面の淡が虚しい。

町の中に聳える尖頭は〈津和野カトリック教会〉、畳敷きの内部に射し込むステンドグラスを通した神秘的な光。そのアンバランス且つ重苦しい光景は畏れの念をかき立てる。役場として現在も使用される木造建築は大正のもの。格子状に嵌められたガラスが温かい。

通りの南西部に広がる山地、その中腹に位置するのは〈太皷谷稲成神社〉である。表参道の鳥居群は京都の伏見稲荷を思わせる。

この神社の歴史は江戸時代中後期、伏見稲荷からの分霊より始まる。明治に至るまでは藩主以外の参拝が禁じられており、現在の規模になったのも戦後になってからという。

津和野百景図にも描かれた〈鳴滝〉へ。透明な流れを汲み取ったであろう黒いホースは、線路を潜り町の水路まで延びる。苔生す一帯は生命の源たる水の荒々しさを讃える。

遮断機なき踏切を横断して〈森鴎外記念館〉まで。線路左手奥、山の中腹に見えるのがお稲成さん。鴎外記念館は鴎外の人生をその作品や交友の面から、彼の身の回りにあった品々の展示を混じえて学ぶことができた。

この町は何処かで止まっている。霊亀山の尾根、〈津和野城跡〉が象徴しているように。止まっているからこそ、祭をはじめとする風俗や建築などの文化、自然と産業、そして自らが住む町への愛着が色濃く残る。

それでも少し寂しく思う。少しづつ風化してゆくであろう〈津和野〉という記憶。〈変わらない〉と〈変わらない〉の両立は斯くも難しき。

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