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ラクダとヤギ

2023年、バラナシでガンジス川の対岸に渡ったとき、柔らかい砂地を歩く感覚で思い出したのは2010年の出来事だった。

ガンジス川対岸のラクダ

2010年、私はインド西部の州・ラージャスタンの砂漠の中で迷子になって死にかけていた。どうしてそんなことになったのかと言えば、「私が砂漠を舐めていたから」に他ならない。なにせ携帯どころかコンパスさえ持たずに踏み込んだのだ。

村からまっすぐ進んでまっすぐ戻るだけ。そう思ってしばらく砂の中を進み、振り返るともう足跡は風に消し飛ばされていた。四方どこを見ても砂と灌木しかない。
「遭難した」。そんな悪い予感を認めたくなくて、すぐにさっきまで歩いて来た方向に引き返した。そのはずだった。それなのに同じ時間だけ歩いても村に辿り着かない。相変わらず周りは砂と灌木。歩いてきた方向を振り返るが、やはり足跡はない。出発地どころか遭難地点に引き返すことすらできなくなっていた。

途方に暮れて、それでも歩くしかない。遠くに見える山らしきものとは反対方向にとりあえず進んでみる。
道に迷ってから1時間も経っていないのに、心細さは体感時間を加速させる。このまま砂漠で夜を迎えたらどうなるんだろう。夜の砂漠は寒いという。炎天下のインドで半袖を恨んだのは初めてのことだった。それにもうすぐ水がなくなる。生き延びられるんだろうか…。

そんな悪い想像に取り憑かれかけた頃、一面の黄土色の世界にぽつぽつ黒い粒が混ざっていることに気づいた。よく見るとそれは動物のフンだった。砂地にヤギのフンが点々と落ちていたのだ。

ヘンゼルとグレーテルみたいだな、と過酷な状況にもかかわらず呑気なことを考えながらそれを辿って行った先、そこにはヤギの群れと男がいた。放牧していたヤギを連れて帰る途中だったらしい。ほっとして泣き出した私に男はきょとんとしていた。
村はもう目と鼻の先だぞ、と。

バラナシの砂地を歩くラクダに目を奪われている友人の隣で、私は地面に目を凝らしている自分に気づいて笑った。
いまここで生きて友人とガンジス川の朝日を見ているのもヤギのフンのおかげなんだよな、と妙な感慨に浸りながら。


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