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『へうげもの』4巻を読んでみました

この漫画を読んだら、いつのまにか日本史(特に安土桃山時代)の勉強になっていました。

織田信長の後を継いで、天下統一を果たしたのは羽柴秀吉でした。1585年に朝廷より関白職を任命され、1586年に豊臣の姓を受けて太政大臣に就任。
豊臣政権が確立されました。
太閤検地や刀狩令など全国に及ぶ多くの政策をおこない国内を統合した事は秀吉の功績として教科書に記載されています。
ちなみに「太閤検地」とは、日本全土の田畑の測量。「刀狩令」とは、武士以外の農民や僧侶に、武器の所有を放棄させた政策のことです。

主人公の古田佐助が「古田織部」の名前を授かるのもこの巻です。また、武に生きるか、好きな芸術に生きるかで、気持ちが行ったり来たりしていた主人公が「数奇の天下を獲る」と目標を明確にしたのもこの巻の醍醐味です。
史実をみると、その後古田織部は茶人や芸術家として名を馳せて安土桃山時代や戦国時代に流行を作り出した人物とも言われているそうです。
また専門家によっては、「千利休は自然の中から美を見出したが、美を自ら作り出した芸術の始まりは織部から」という見方もあるそうです。
戦国時代で天下を獲るといえば「武」という常識を、違う角度から自分の時代を作ろうとしている織部の姿勢は、サラリーマンの私にとっても見習う点があり、いつのまにか社会人としても勉強になっていました。

4巻では、こんな勉強ができました。(以下、内容のネタバレを含みます)

①秀吉と大阪城

大阪城

明智光秀を討った秀吉は、今後の天下人を誰にするか清州で行われた会議にて信長の正式跡継ぎの後見人となり、実質天下を仕切る役に就きます。
その後、柴田勝家との戦いに勝利し、徳川家康とも和睦した末に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉。次なる野望として掲げたのが、織田信長が本能寺の変により成し遂げられなかった朝鮮攻め。明(ミン)をも支配して王になることでした。

1583年から1598年にかけて豊臣秀吉が築いたのが大阪城です。信長が築城した安土城よりも大きく豪華な様に、秀吉の思いが込められていると想像されます。農民から天下人まで駆け上がった秀吉は、武力だけでなく知略や愛嬌も武器にしていたことがよく語り継がれています。私の娘も愛嬌は抜群なので、大物になるかもしれません。

②豊臣秀吉と徳川家康

浜松城の徳川家康像

秀吉が天下を獲るために苦労したのが、徳川家康の懐柔でした。対明智光秀との戦の時も、明智亡きあとの次期天下人を決める戦でも、二人は対立します。羽柴勢の兵が10万に対し、徳川勢の兵は1万6千、それでも「小牧・長久手」での戦では徳川勢が勝利しています。羽柴より徳川に終戦を申し込むことで和睦し、戦は終わりました。しかしこの二つの軍はのちにまた相まみえることとなります。大阪の陣です。

秀吉と家康の関係ですが、秀吉が織田信長の家来だったことに対して、家康は織田信長の盟友でした。つまり、上下関係としては秀吉から見て家康は目上の存在だったようです。
秀吉は朝廷から授かった関白という位をうまく利用して家康よりも上の立場に立ち、世間的にもそれを上手にアピールしたとされています。
年齢も信長、秀吉、家康はそこまで大きく離れていないということもこの漫画を読んで知りました。
戦国時代、特に安土桃山時代の時代背景を勉強するには、とても役立つ漫画だと思います。

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