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六日目 令和元年五月四日 十六時頃

 東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。六日目 令和元年五月四日 十六時頃。駿河國 丸子宿から府中宿へ。

【上段左】佐渡の子授地蔵大菩薩堂

【上段中】さわたりの手児(てご)万葉歌碑。地名改変で「佐渡(さわたり)」の地名が消失したことを惜しんで、昭和五十七年にこの碑が建てられた。写真の左端に黄色いごみ網が置いてある。こういった史跡は地域住民によって必ずと言っていいくらいごみ収集場所になる。これを建てた昭和五十七年当時の村の有志らは、こうなることを想像できただろうか。

【上段右】コーナーミラーを抱かえ込んでしまった街路樹のクスノキ。クスノキの成長の速さが伺える。

【中段左】生花ではなく造花が手向けられている手越の子捨地蔵。おざなりな扱いが不憫だ。昔ここらの殿様の留守中にその奥方が孕んだ。召使いを責め立てた所、奥方の腹に手を当てて守ったのだと言い訳をした。すると生まれ出てきた子は手しかなく、殿様はその手を橋から川に捨てた。後にそれを供養するため地蔵が建てられた。ブラックジャックのピノコみたいだ。

【中段中】安倍川の安倍川橋を渡った所。天気が良ければここから道の奥に富士山が見える。右道路沿いに安倍川餅の有名な店が二軒並ぶ。

【中段右】かごや商店。元祖ではない安倍川餅屋。雰囲気は貧好きの私好み。創業百年ぐらいらしい。

【下段左】石部屋 元祖安倍川餅創業文化元年(1804)。今回はどちらの店も行かなかったが、前回の膝栗毛のときには石部屋に入った。店員の愛想が非常に悪く、あまり楽しめなかった。どうも無愛想なのは有名らしい。そうとなればこれがまた味になる。

【下段中】元祖わさび漬けの田尻屋。創業宝暦三年(1753)。類似屋号に「田丸屋」がある。こちらの創業は明治年間。「尻」と「丸」。臆面もなく名付けたものだ。本場の味をわさび漬け好きの実家と妻の実家に送った。

【下段右】田尻屋の店内。大きなわさび漬けの漬け樽が置いてあった。

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