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四日目 令和元年五月二日 八時半頃

 東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。四日目 令和元年五月二日 八時半頃。遠江國 白須賀宿。

【上段左】明治天皇御遺蹟地記念 故木戸孝允孫幸一謹誌潮見坂公園の西端。同好の士はここまでの道中で強烈な尿意を催したため、便所を探していた。街道歩きの便所は公園、神社、寺院である。最近はコンビニエンスストアでも用が足せるが、旧街道にはコンビニが少ない。その代り寺院は多い。緊急の場合、寺院の便所を借りる。

 しかしここまでどこにもなかった。確かこの公園の東の端に休憩施設がある筈なのでそこを利用すれば良いと話していた。が、我慢しきれなかったようで、この記念碑の物陰で用を足した。

【上段右】上の記念碑の台座に貼り付けてある木戸孝允日記の一節。明治天皇が明治元年十月一日に東京に下る際、ここ白須賀で太平洋を初めて見たらしい。随行した木戸孝允は日記にその様子を書き留めた。

今日 輦輿元白須賀に被爲至始て 至尊大洋を 叡覽被爲遊暫御途中に 輦輿を被爲止れ從是 皇威の洋外相輝ん始なりと感泣に不堪也

【中段左】國の異体字ハンター。「ム一(むいち)」型異体字。上とは別の記念碑。何が書いてあるのかよく分からんが、書いたのは「正三位勲二等犬養毅」である。名前の下に「篆額并譔文(てんがくへいせんぶん)」とある。「篆額」とは石碑の上部に彫られている篆書の題字、「并譔文」とはそれに添えられている碑文のこと。

【中段右、下段左】潮見坂の説明看板。江戸から京に上る時、坂を登って振り返ると遠州灘が見える。我々は江戸に下っていたので、坂を下る途中で海が現れた。

【下段右】歌川広重 東海道五拾三次之内 白須賀 汐見阪図。当時の景色とほぼ同じ。

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