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五日目 令和元年五月三日 十四時頃

 東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。五日目 令和元年五月三日 十四時頃。遠江國 日坂宿。

 峠からの坂道。空が澄んでいれば、この方向に富士山が見えたはずだ。

 高速道路かバイパス道路の建設途中の桁。旧街道を分断する心配があるが、高架だからなんとかそう言う悲劇は免れそう。それにしてもこんな田舎で道路を新しくする意味があるのか。Googleの航空写真から推定すると国道1号線菊川インターチェンジ静岡空港とを結ぶようだ。

 石畳と石階段(奥)。これらは当時のものか。復元したものか。横断歩道のある奥のの道路を作る際に切り通しにした結果、石の階段を付けたのだと思う。

 四郡の辻佐野郡、城東郡、榛原郡、山名郡の堺だったと言う。四つの領域が一点に集まることはなかなかない。国境ではそのような例はないのではないか。四色問題で有名なのはアメリカの州境でユタ州、コロラド州、アリゾナ州、ニューメキシコ州の四州が一点に集まっている地点があるこういう点があっても四色あれば地図を塗り分けることができる

 菊川の由来菊花紋の石がたくさん出たから

 古そうな道標だが、いろいろ釈然としない所もある。コンクリートでつなげてある上の部分。下の部分は自然石のようだが、つなげた上の部分は加工してあるようだ。また石の種類も違って見える。道標で「みぎ」と平仮名で彫るのも珍しい。大抵は漢字だ。右もあれば左も書くので、平仮名を使えば「左」は三文字となって彫る手間も増えて、表示も長くなる。

 下は「二十五ば(者)ん道 ◯◯川村」とある。江戸時代の道標に村名、町名が書かれる例は見られないと思われる。また濁点も通常は用いられない。「みぎ」と「ばん」で二箇所も濁点を使っているのはかなり特殊な例だ。「道」が行書で書かれている点は江戸時代の雰囲気が出ているが、何となくではあるが、明治年間に作られた道標ではないかと思われる。「二十五ばん」とは、ここより南にある遠江三十三観音霊場 第二十五番札所のことであろう。

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