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九日目 令和元年五月七日 九時頃

 東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。九日目 令和元年五月七日 九時頃。駿河國 原宿。

【上段】桜地地蔵。風化が激しく、どれがそれなのかよく分からない。「さくらじじぞう」と読むのか。この辺りは「桃里」と言うらしい。踏切の名前は桃里(ももざと)西踏切だ。鈴木助兵衛が一帯を開墾したので、「助兵衛新田」と呼ばれていたが、明治四十一年(1908年)、助兵衛新田という土地名が風紀上好ましくないということで、その当時この辺りでは桃をよく作っていたことから「桃里」と改めたらしい。「風紀上好ましくない」とはどんな言いがかりなのだ。人名が風紀を乱すという考え方は如何なものか。子孫たちはかなりつらい思いをしていることだろう。村への貢献は、計り知れないと言うのに。

【中段左】三社宮。浅間神社とも呼ばれる。慶安三年(1650)の創建。

【中段中】境内には道祖神が祀られている。

【中段右、下段左】常夜灯の台座には、盃状穴が見られる。

【下段中】原一本松の一里塚跡。宅地化されて痕跡すら残っていない。こういうのを見るといつも思うが、一里塚は幕府が整備したものであるのにどうしていつの間にか宅地として誰かの所有物になっているのか。何かどさくさに紛れて占有したとしか思えない。特に終戦直後はこういった例が多そうだ。

【下段右】高嶋酒造。この辺り出身の臨済宗の僧「白隠」に因んだ「白隠正宗」を製造販売する。白隠正宗の名前は山岡鉄舟が付けたと言う

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