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四日目 令和元年五月二日 十七時十五分頃

 東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。四日目 令和元年五月二日 十七時十五分頃。遠江國 浜松宿。

 横町通り。小さな通りだが、大正から昭和初期にかけては天竜川の船着き場でもあったため、賑わいを見せていたらしい。舟屋、小料理屋、銭湯、床屋、魚屋などが軒を連ねていたようだが、現在はその面影は微塵もない。盛んなのはツツジだけだ。

 東海道 浜松宿 中野町の説明地図。江戸と京との中間点だから「中ノ町」と呼ばれた。

 天竜川の橋。よく晴れていたので富士山が見えそうだったが、見えなかった。夕方は霞むので見えにくいかも知れない。

 長森の立て場とかうやく(こうやく)の説明看板。立て場とは、街道筋で人足が駕籠や馬を止めて休息した場所。長森かうやくはこの立て場で売られていた膏薬

 江戸時代の街道地図「東海木曾/両道中懐宝図鑑」にもこの膏薬が記載されている。「な(奈)が(可)も(毛)りかうやく」(傍線)とある。かなり有名だったようだ。

 宮之一色秋葉山常夜灯。この辺りの常夜灯は囲いがしてある。この囲いは平成八年に一部改修された。棟札には文政十一年(1828)と書かれていたらしい。

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