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三日目 令和元年五月一日 八時四十五分頃

 東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。三日目 令和元年五月一日 八時四十五分頃。三河國 藤川宿。

 藤川宿の東の端。街道は江戸に向かって右に直角に曲がる。

 現代の地図上だとこの様に旧街道は折れ曲がっている。矢印の方向は江戸に向かう場合。赤い目印には常夜灯がある。

 地図の赤い印のところにある貴重な常夜灯。寛政七年(1795)。何が貴重か。台座石の盃状穴

が凄い。穴をあけ過ぎて、もう「盃」になっていない。隣の穴同士が競い合って掘られた感じがする。

 同好の士。江戸方面から来た人。京方面に向かっていた。左に行くか右か迷っていた様子だったので、「東海道は左ですよ」と教えた。

 牛乳屋。昔は牛乳屋さんが沢山あった。街道筋にも牛乳屋が目立つ。ただし、殆どは廃業している。名古屋牛乳は尾張三河地区の有名銘柄。かってこの辺りに住む子どもたち全員はマンボ調の「名古屋牛乳の唄」が歌えた。歌えない者はモグリとさえ言われたぐらいだ。しかしよく考えてみると名古屋市在住ではなかったので、名古屋牛乳を飲むことは殆どなかった。

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